2017年2月2日木曜日

神の愛される台所

一瞬、リスが! エジンバラのwest princess street gardenの一角
より頼んでいるあなたがたには尊いものです(新約聖書 1ペテロ2:7)

 もしあなたと私がもっと光を、もっと啓示を獲得するなら、人々は私たちのうちに、啓示や光をいただいていない人々とくらべてキリストをより一層見ることになるのでしょうか。神様は私たちがそのような力を得ることをお許しになりません。なぜなら、父なる神様は御子を除いては決して動かれないからです。父なる神様は理論や教えや教理や私たちが啓示と呼んでいるようなものには決して動かれません。ただご自身の生ける御子が明らかになる範囲内にとどまっておられるのです。

 私たちは主イエス様により頼みましょう。他のいかなるものよりもあなた様をあらわしたいという強い願いが私たちのうちに起こされますように。偉大な真理を宣べ伝えることでもなく、また説教者や教師やそれに類似した何者かになるのでもなく、主イエス様をあらわしたいのです、と願いましょう。

 神の家の上層部に余りにも多くの時間住み過ぎないようにしましょう。神の家は一つです。地下もあれば台所もあります。私たちはいつでも最上部すなわち大変天的であり霊的であり抽象的でありかつ真理の高く引き上げられたところでは、台所の実際的なことがほったらかしにされるようには住みたくないものです。もし家に入って、二階に連れて行かれ大変きらびやかに素晴らしい装飾のあつらえられたところを見せられ、それから台所に降りて二階で見たことと全く不釣合いな汚れたところをとにかくきれいにするとしたら、一体あなたは何と言うでしょうね。ここには良くないものがある、ふさわしくないと言いますか。

 霊的な生活にも台所の側面があります。実際的で日々の退屈な事柄のすべてにおいて主の麗しさはちょうどキリストにあって天高くいるのと同じ程度にあるのです。上だけで生活することのないようにしましょう。下で生きねばなりません。そのことは神のことばが語っている通りです。それがパウロがエペソ人への手紙で語ったことです。

 彼は手紙の半分で天について書き、それから章を分かつことなく、まっすぐ手紙を書き進めました。「私は・・・召されたあなたがたが、その召しにふさわしく歩むことを勧めます」(エペソ4:1)そしてそれから夫たち、妻たち、子どもたち、両親たち、主人たち、女主人たち、召使たちについて(書きました)それは台所に降りて来て天からの栄光をもたらすものです。大変重要な側面です。大切なことはこの地上でも見出されねばなりません。「天と同じように地にも」(マタイ6:10)

(今日のところも大変訳しづらかったところです。誤訳があると思いますし、どうしても訳せなかったところは飛ばしました。是非原文にお当たりください。ただこの章は4章目に当たるところの抜粋ですが、1、2章前にはスコットランドの山を見ての話がありますのでメッセージがなされたのがスコットランドのような気がしました。またキャンベル・モルガン博士のヨブ記についての話の言及がありますし興味はつきませんでした。訳には反映していませんが、Features Of Zion - Chapter 4 も中々すぐれた読み応えのあるメッセージです。引用はいつもどおり
http://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003031.html 

追記:6年前のこの訳文、また文章を見ると実に多くの「宝」を味わうことなく、今日に至ったのかがよくわかります。ここでスパークスが言わんとしていることは大変重要であると思います。まして1、2章も私自身が目を通しているとは自分でも信じられない思いでいます。)

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