2011年11月26日土曜日

神の王国の基盤の真実さ

北海道・摩周湖の白鳥 by Yuriko.O
自分から語る者は、自分の栄光を求めます。しかし自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません。(新約聖書 ヨハネ7:18)

 あなたも私もいつかは神と顔を合わせることになります。私たちは文字どおり永遠に神と顔と顔とを合わせるようになります。その時、質問が出てくることでしょう。神はいかなる点においても私たちが失格だとされたのではなかったのでしょうか、と。私たちはどんな細かい点においても、主よ、あなたは私の期待にこたえてくださいませんでしたね、あなたはご自分のことばに忠実でいらっしゃいませんでしたねと、果たして言うことができるでしょうか。過去において、いかなる存在であっても、神に対して神の真実さや、誠実さに関して何らかの疑問を持つ、そのような批判を持ち出せるような立場にあるとは到底考えられないことです。

 聖霊は私たちをあらゆる真理に導くために真理の御霊として送られてきました。それゆえに、神と私たちの間にはたとえどんなことがあっても、神の完全な誠実さ、ご自身とあらゆることばに対する真実さに関するいかなる(疑いの)影も存在しないことでしょう。聖霊はそのためにやって来られたのです。もしそれが本当なら、聖霊は、キリストの学校のあらゆる弟子たちに、真実でなく純粋でないものをすべて削ぎ落とし、神の絶対的に完全な正当性があらわにされる日に、神の前に住み得る基盤の上に、すべてのそのような弟子たちが立てるように事を運んでくださることでしょう。

真の基盤のために必要なこと

 しかし、このことがそうなるためには、あなたも私も聖霊の教えのもとに非常に誠実に取り扱われねばならないのです。また、私たちは神の前に完全に整えられるところに到達していなければなりません。そして、そのところにおいては聖霊にすべて聞き従い、聖霊に逆らったり拒絶したりするものが私たちのうちに全然ないということです。逆に私たちは、聖霊に、取り扱われ、整えられる必要のある生活上のいかなることがらにも触れていただいて、最も大きな影響を受けてもいいように、完全に心を開き、受け入れる用意をしているのです。聖霊はそのために地上に来ておられるのです。

 私たちのうちになされることが認められている聖霊のそのような働きに代置するものがあるとすれば、私たちは私たち自身が間違ったところに位置していることに気づくでしょう。しかしその代置するものが余りにも代償が大きすぎるので、間違った位置に自分がいるとは気づくことができないほどなのです。たとえそれだけが確かな事項だとしてもです。(The alternative to such a work of the Holy Spirit being allowed to be done in us is that we shall find ourselves in a false position, and it is far, far too costly to find ourselves in a false position, even though it only be on certain points. )これが私たちが住んでいる偽りの世界、たくさんのうそに塗り固められる世界なのであります。この世界の全構成は嘘です。そして大多数の人がそのことを知らないですし、自分たちは正しいと思っている人のまさしくその性質のうちにあることなのであります。彼らはニセの基盤の上に世界を築こうと務めているのです。 神の王国は全然別なのです。それはイエス・キリスト、真理なるお方の上に築かれるのです。

(今日の箇所は The School of Christ - Chapter 2 の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003472.htmlです。英文を併記したところは特に訳に自信のないところです。)

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