2011年5月1日日曜日

心の目をあけてください

長野県御代田地方は今桜が満開です。
私は祈っています。あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか知ることができますように。(新約聖書 エペソ1:18)
(霊的照明は神のご目的の基礎であります。私たちは自分の頭脳を使った単なる調査や探求によって霊的事柄を知り、キリストの満たしを体験するということは決してありません。必要なことは聖霊が与えてくださる啓示を通してキリストを知ることです。イエス様の証が、おことばを通しての霊的な照明や啓示であったのと同じです。イエス様の証は決して固定的なものではありません。あなたがたが「これがイエスの証であります」と言い、公式化するようなものではありません。

イエス様の証は(父なる神様によって)明らかにされたことであります。イエス様の証とは「天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」(使徒7:56)です。ステパノはその証のために死にました。「正午ごろ、王よ、私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです」(使徒26:13)その内面的な意味はみことばを離れたものではなく、みことばを通して聖霊によってあたえられるものです。それは手紙よりもっとすごいものです。いのちだからです。あなたに次のように言わせるものです。私は随分長い間聖書を読んで来たが、以前にはその方(聖霊なる神様)には会っていませんでした、と。)

聖霊が教会に関して明らかにすること(聖霊による照明)は、大変難しく、主を体験的に知っていない人にはどなたにも説明することができません。しかし主を体験的に知っている人に対しては説明は不要であります。すべての点でこれだけの違いが生ずるのです。あなたはエペソ人への手紙、コロサイ人への手紙、ローマ人への手紙について、キリストが教会のからだであるとして説教することはできるかもしれません。また本の中に書いてあることを読むこともできるでしょう。しかしそのことをまだ本当には体験していないことはあり得るのです。

それがある日、天が開け、突然そのことがあなたの霊にのぞみ、あなたがそれを見、そしてあらゆる種類の調整が生活に必要になったとしましょう。あなたは次のように言うでしょう。「私は教会には宗派や国籍の違いは何もないのを見ました。私はすべての信者が一つであることを信じました・・・」そうです。あなたは全部が全部そのように言うことができるのです。しかしまだあります。

そのあるものは啓示によって始めて体験できるのです。あなたは別のことを体験し、それによってちょっとかなり遠くまで行くようになるでしょう。しかしそのことをもっと求めてごらんなさい。そうすればあなたはさらに前進することになります。あなたはそのことにより、新たな戦い、犠牲を経験しますが、新しいところへ移されているのです。そのことは神様の目的にとって必要だからです。

こういうことを申し上げ、指摘し、強調しておりますのは一つのことであります。あなたはおっしゃるでしょう。「あなたはどのようにしてそこに達しましたか。私たちはあなたがおっしゃりたいことを見ています。全部はっきりしているのですが、達していないのです」 よろしいですか、もしあなたが本当に二心をお持ちでないなら、また完全に主と一つになり、見えるように見られ、主とまちがいなく、ともに事を処理なさるなら、一日のうちにではないかもしれませんが、ゆっくりと、確実に、静かに、新しい(御霊の)理解の世界へと移られてゆくのです。

そしてあなたはご自分の見方が変わっていることに気がつかれるでしょう。あなたの価値基準が変化します。あなたの見方が変わります。数ヶ月を要するかもしれませんが、その終わりにはあなたはおっしゃるでしょう。「私は変わりました。あることが私に起こったのです。今まで受け入れていたことがもはや受け入れられなくなりました」

ひょっとして一瞬間のうちにそうなられるのかもしれません。どのようにしてその時が来るかは全くどうでもいいことです。大切なことは霊的照明ということです。(冒頭のみことばにあるように)使徒が手紙を出した人々に持って欲しいと祈ったのはこのことなんです。私たちも祈りましょう。私たちに霊的照明が与えられるように、また主の民のすべてにこの照明が与えられるようにと。

(今日の箇所は以前の1/28と全く同じ箇所でした。スパークス氏サイト編集者の何らかの意図があるか知れません。前回、「訳すのが大変難しかった箇所です。参考のために数行前から訳してみました。誤訳が多いと思います。問題に感ぜられる方は下記の原文に直接当たってみてください。」http://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003026.html
と書きましたので再挑戦し訳し直そうとしましたが、訳し直すことが出来ませんでしたので、このまま再録します。なおこの文章はスパークスのFilled Unto All the Fulness of God Chapter 2 からの抜粋です

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