2011年5月4日水曜日

バランスよく知る主の恵み

昨日は白い薔薇、今日は赤い薔薇に一点集中しました。これもバランス?
あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望み(新約聖書 コロサイ1:27)

私たちは天におられるキリストと信者のうちに住んでおられるキリスト、すなわち客観的であることと主観的であることとに関してはことばで説明することは難しいと感じております。私たちが適切な真理のバランスを保つ必要があるのは極めて重要なことです。私たちの悩みの大変多くのものは真理のある面におけるバランスを失した強調にあるからです。真理を知ることは良いことであり、真理を喜ぶことも良いのですが、真理が私たちを悩ませる可能性もまぎれなくあるのです。真理、もっと言えば霊的な真理に向かうところに多くの危険性が横たわっています。そしてこれらの危険性に落ちこんでしまった主の民が少なからずいます。それは彼らが光が乏しいことのゆえに悩んでいるのではなく、彼らの光が適切に整序されバランスが保たれなかったことのゆえに大変な悩みの中にあるということです。

このようなわけで私たちが正しい見方や関係を通して事態をつかむことが大変必要になります。どちらかの方を優先することは必ず霊的な損害、ひいてはきわめてしばしば破滅にまでつながることになります。主によって引き上げられ用いられた多くの道具である人々の歴史は結果として力と効率をなくした悲しい物語であります。その原因はバランスを失した強調に悩まされ、ある真理がそれを補完するものとの関係からはみ出たところに置かれたことによるものであります。

もし私たちが主観的なことを過度に強調するなら、キリストの栄光から、あるものを奪い取ります。逆に客観的なことを過度に強調すると神の目的から、あるものを奪い取ることになります。キリストにある神の働きとキリストにある神の目的がともに大切であります。これら両者がそれぞれところを得なければなりません。主よ、願わくは私たちに理解力をお与えください。そして私たちが安息の地に入り、あらゆる神様の祝福の近くに潜んで待ち伏せている危険の数々から守られ解放されますように。

(今日の文章http://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003174.htmlはA4版で9頁になる文章の文頭と文末が載せられているに過ぎません。中身は述べられていません。饅頭にたとえれば中のあんこはすべて省略されています。いずれかの機会にあんこの部分がこのサイトで紹介されると思いますが、是非すぐお知りになりたい方は Christ in Heaven and Christ Within をご参照ください。なお例により、訳はあまり信用できません。是非原文で点検されますように。なお参考のために、引用聖句を載せておきます。エペソ1:20、コロサイ1:27、ローマ6:1~6、ローマ8:1~2、ローマ8:33~34です。)

0 件のコメント:

コメントを投稿