2011年5月9日月曜日

ヘブル人への手紙の概要とは

一羽の雀と十一羽の鳩。ちょっとした珍しい組み合わせですね。
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(新約聖書 ヘブル4:12)

この手紙を通して正しく表現されている神様の考えの全体は霊的な満たしにあります。キリスト教をふくめていかなる宗教にあっても、たましいと霊、感覚的なことと霊的なこととが混在し混同していて、それは過去ユダヤ教とクリスチャンが対立し、今では組織化されたキリスト教が行なっているように、ユダヤ教の運命に支配されているのです。もし、私たちがキリスト教を築き上げるために人々のたましいの豊かさを当てにするなら、「あらゆることが神様から出ている」ことを認識せず、すなわちすべてのことが先ず神様から生じ、霊的な人とのつながり、つまり新しく生まれ変わった人が神様の器や運び手となることを重視しないなら、—たとえ私たちの組織がどんなに巨大なものであったとしても、大きな「揺さぶり」が来る時、(耐えられず)倒壊してゆきます。

キリスト教は今や多くのユダヤ教の特徴を備え、まさしく築き上げられるものであります。すなわち、外形的な秩序、形態、式服、称号、建物、それに真理の修得について厳密に固定された枠組みがあります。そのことは、天的な観点で見るなら、全くナンセンスであり、児戯ですらあります。それがたとえ神様の子どもによって大変重要視されていても、です。この手紙は神様がこの世から連れ出し、ご自分のものとしてくださり、それゆえ御国の一員であると長い間確信している人々に宛てられたものであります。

手紙はキリストの光によってその人たちの性質や歴史を説明しようとします。またその手紙が示すところによりますと、そのような人々でさえ地的なこと、この世的なことと分離し、そうしたために「屈服」させられたのですし、クリスチャンでさえ、もし彼らの父祖たちがユダヤ教においてなしたことをキリスト教で繰り返すなら再び転覆させられることでしょう。ここには解説されている類型にはるかにまさるものがあります。その解説は罪と裁きからの救いに関して受け入れられるものです。それは根本的で避けることのできない天的な関係であり、宗教的な感覚においてさえ生まれながらのいのちと内面的に切り離された主の民のいのちです。

(今日の箇所は “God Hath Spoken” - Chapter 1 の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003178.htmlです。後半の部分は訳出が困難で、意味が不明瞭です。この文章も「神語りたもうた」と題する末尾の文章で、結論部分になっています。それゆえ訳は全体を見て、おさめるべきなのでしょうね。)

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