懐石料理11の紹介(by Keiko.A) 9.食事 Essen 10.止椀 Schüssel Suppe für Ende |
しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。(新約聖書 ヘブル5:14)
生まれながらの人間には五感が与えられています。すなわち視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚です。こういうものが肉体に与えられた五感です。しかし、「心の中の隠された人柄」と言われる内なる人にもあります。そしてその内なる人には外なる人の五感に匹敵するものがあるのです。霊的な視力、聴覚、嗅覚、味覚、触覚が、それです。こういう感覚は内なる人の生活にとって大変重要です。そうです、肉体の感覚よりもはるかに重要です。
私たちは外なる感覚のうちどれか一つでもなくしてしまった人の悲惨さがどのようなものかを知っています。それは大きな損失であり、不完全ないのちであり、制限のあるいのちです。そのことは内なる人にとっても真実であります。霊的な視力なしにいることは悲しむべき損失であり制約であります。御霊に答える能力である霊的聴力を欠くことも同じであります。「耳のある者は御霊が言われることを聞きなさい」とあるとおりです。もし聞く力がないならそれは深刻な事態であります。
もし感知しないならどんなに損害があることでしょう。その感知はすぐに感得する嗅覚のように知りうるものです。それが異端や欠けあるものや間違っていることをかぎつけようとしてはどんなに間違って用いられたかを知ります。非常に重要な霊的嗅覚の正しい能力があります。それが主に関して言及がなされたことだと私は確信しています。「主の嗅覚は主を恐れるうちにあります」His scent shall be in the fear of the Lord(イザヤ11:3※)主が望んでおられることを嗅ぎ取ることをまちがわず、かつすばやく知ることであります。そして、それはどんなに主の天的な生活にとって真実であったことでしょうか。それは主が敵を感知し、その目論見を知るのに役立ったもの、また父なる神が望んでおられること、そして主が望んでおられる時でないと知ることでした。敏速な感知が重要なのです。そして私たちの味覚や触覚も同様に触れ合うことにより覚知するものです。
これがまさしく本当の内なる人です。こういうものは霊的な資質の地盤から生ずる感覚であります。こういうものは訓練されるものであり、増進と発展のために「完遂される」
べきものです。
(ヘブル12章で使徒が神の世継ぎである子どもであることについて語り、それから9節で「霊の父」という語句を用いているのをご存知でしょ
う。「私たちには肉の父がいて、私たちの肉の感覚が発展されること自然の領域での正邪を知る点にまで鍛え上げられることを知っていた。それゆえ肉の父は何が正しいか間違っているかを私たちは教えた」ところが私たちには霊の父がいるのです。私たちの霊的資質や感覚が父の関心事であります。霊の父は霊的な視力、聴力、嗅覚、味覚、触覚の各能力が発展することを主眼にしておられます。これが完全に成長した人とはどんな人であるかを説明することであります。)
(今日の箇所は Spiritual Exercise の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003498.htmlです。※イザヤ書原文の日本語訳は「この方は主を恐れることを喜び」であります。)
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