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2011年5月22日日曜日

御子を宣べ伝えるのは啓示に従うのみ

異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき・・・(新約聖書 ガラテヤ1:16)

パウロの時代以来、キリスト者の活動の大変多くの部分が運動を押し進め、教えを広め、制度に関する諸関心を発展させることでありました。(しかし、本来)それは運動ではありませんし、地上に運動を確立し、追随者や信奉者や構成員、支援を獲得するためでもありません。たとえその制度を教会と呼ぼうとも、それは制度ではありません。教会はイエス・キリストの啓示から離れては、神様の考えの中に存在しません。それは神様の愛される御子であるキリストがその教会という存在によってどれだけ明らかであるか、その尺度に応じて判断されるものです。

もし、証というものが特別な教えの形態や体系化された教義を意味するならば、証ではありません。そうです。証ではありません。私たちが「証」について話す時、私たちがどんなことを意味しているのか注意を払うことにしましょう。私たちは心の中でにいくつかの真理を配列し、一定の言い回しで表現されているそのような真理で、言葉の形式を持っているので「証」について語っていると思うかも知れません。しかし、それはその意味で証ではありません。

それは宗派ではありません。宗派を超越しているのでもありません。宗派間のことでもありません。キリスト教ではありません。「働き」ではないのです。ああ、私たちはいつも「働き」について話します。たとえば「その働きはどのように続いていますか」とか。私たちは働きに身をささげ、働きに関心を持ち、働きのために出かけます。それは布教活動ではないのです。

それはキリストです!「御子を宣べ伝えさせるため」もしそのことが中心となり卓越したままであるなら、あらゆるこれらの恐ろしい、打ち壊すようなねたみも、決して出る幕がないことでしょう。今日のキリスト教界に存在するあらゆる不幸な混乱は決して起こらないでしょう。不幸な混乱は、活動自身の特別なもの、運動、布教活動、教え、証、仲間意識がキリストに取って代わってきたからです。人々はそれを押し進めるために、またその計画を立て確立するために出て行きました。そのことは悔い改められていないでしょう。それにもかかわらず、今日、キリストよりも私たちの働きだというのが本音なのです。

今や、愛する皆さん、心の内側からする啓示こそあらゆることがらの治療です。私が言うのは余りにも厳しいことでしょうか。また物事を徹底的に追求し過ぎなのでしょうか。それらのすべてが存在するのは内側に照射するキリストの適切な啓示が欠けていることを表しているのです。

(今日の箇所は The Centrality and Supremacy of Christ の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003191.htmlです。今日の箇所も随分と冒険した訳になっています。あるいは幼児さながらの訳かも知れません。練達した英語力のある方の指導を仰ぎたい思いです。なお3/28の文章は今日の文章に続く文章です。)

2011年3月28日月曜日

主を慕う心

神様は御子を私のうちに啓示することをよしとされた(新約聖書 ガラテヤ1:15~16)

もし、神様が愛される御子キリストが信者の心のうちで他のものよりも中心になり卓越しているなら、他のものは価値がなくなるにちがいありません。神様にいどむ論議は分断されるでしょう。人為的な論議や人の活動とその人自身の計画から引き出される論議や神様の関心事の中に自らを取り込もうとするような論議は、主イエスの啓示が内面的に明らかであるところには成り立ち得ないのです。それらの論議は存在できないのです。

私たちの前には次の二つの事柄が控えています。一つは心のうちにイエス・キリストの啓示を受けているゆえに主を慕っているというものです。もう一方は、心のうちにキリストの啓示を十分経験していないので、私たちが神の関心事であるとか神のためになるとか言いそうなことで、その実、決して決して神様の心をお喜ばせできない別のことに心が向かっているということです。(彼らにとっては)父なる神様の心の満足は、目に見えるものであります。

愛する皆さん、私は今個々人について話しているつもりです。 私も皆さんも、キリストが私のうちにまた皆さんのうちで明らかにされる物差し以外にはクリスチャンであると主張する根拠は正しくないのです。そしてすべての権力や地獄の力はそのことに反対するのです。信者は世にある他の誰よりも反キリストそのものである彼らを非常に怒らせるに違いありません。(Believers have far more to provoke them to un-Christ-likeness than anyone else in the world.) 信者は他の誰よりもはるかに嫌悪感を受け、キリストを裏切らせようとする脅迫感を経験するのです。陰府(よみ)の力は断固としてイエス・キリストの啓示に反対します。全てのことはここから始まるのです。すなわち内に住んでいらっしゃるイエス・キリストの啓示であります。

(今日の箇所は The Centrality and Supremacy of Christ [キリストの中心生と卓越性]の抜粋引用訳です。全体的に訳には自信がありませんが、英文を併記したところは特にそう判断するところです。もし間違っていたら、読者の方で訂正してくださると助かります。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003108.htmlです。)