しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。(ガラテヤ6:14)
まことに十字架に釘つけられた人々はこの世の危害から完全に守られている。この世が支配するのは十字架がその働きをなしていない時だけである。この世は十字架にかけられた男や女、信ずる者の十字架につけられた仲間を支配しない。十字架はこの世に反対する大きな防御である。もしあなたがこの世の外にいたいのなら、十字架に場所を占めてもらえ。もし十字架がまことにその場所を完全に占めているなら、その時、他のすべてのものもまた整序される。十字架はこの世に対抗する大きな防御である。十字架は悪の力に抗する大きな防壁である。十字架はすべてのものを安穏にし、すべてのことを主のために守る。
主は立場を明らかにしたいと望んでおられることを知っているだろう。主は主の民にご自身を信頼して欲しいと願っておられる。ところがもし十字架がその場面で働きをなさないなら、主は彼らにご自身をおまかせになさることは不可能である。主はおっしゃる。「わたしがそこで自分を明け渡すのは安全でない。さもないとわたしは彼らの十字架にかからない状況に巻き込まれねばならぬ」
十字架はあらゆることを主のために安全にする。そして十字架は教会のためにも安全にする。もし十字架が私たちすべてのうちにほんとうに働くなら、私たちはお互いに信頼できる。十字架につけられた男女にとって信頼することは全く心配がない。
(今日の箇所はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003009.htmlである。実に明快なスパークスの文章である。2017.1.28Translate)
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