2017年1月4日水曜日

地だけではなく天も揺り動かす

この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。(ヘブル12:27)

  ヘブル人への手紙が示している方向に従えば、エルサレムの破壊にあってユダヤ民族に関して全地は揺り動かされました。神殿はその全世界の焦点のごとく地面に叩き潰されました。大祭司の命のもとに集められていた祭司はなくなりました。神殿の奉仕は費え、国民は統一体としての民でなくなりました。これらはどれも取り除くことができるものでした。

 しかし彼らはどのくらい立ち続けたことでしょう。彼らはどんな力に耐えたことでしょう。彼らが決してなくならないというどんな確信があったことでしょう。彼らは神様と緊密なので決して破壊されないし、終わりではないというどれほどの確信をもっていたことでしょう。彼らは最後の恐ろしい窮地にいたるまでどのように戦いしがみついたことでしょう。しかし全く役に立ちませんでした。

 神様はもはや枠組みも地上の機構も望まれませんでした。それはほんとうの霊性が達成されるまでにあまりにもたくさんの部屋やエネルギーや経費を必要としたからです。結局霊的な価値の割合は余りにも小さく、霊的関心は宗教組織や伝統という迷路の道とは余りにも遠くへだたっているので、やりがいがありませんでした。目的に達する手段は直接的ではありませんでした。つまり手段と目的との間には余りにも大きな距離の開きが存在したのです。ほんとうの神様のご要求に直接触れるものはなく、とりなしがなされるには余りにも離れ過ぎていました。だからそれはなされねばなりませんでした。神様ご自身が維持するよりも揺り動かされたのです。

 揺り動かしがまさしくそうだったのちに残ったもの、それは霊的で天的な道のうちにあるキリストでした。天にいらっしゃるキリスト、御霊によって地上に集まる目的あるいは集まる機会。天におられるキリスト、大祭司そしていけにえとしてのキリスト。地上における神の家の秩序は純粋に霊的で天的なものであり、形式的でも編成されたものでも模造品でもまして物質的なものでもありません。秩序はいのちから成長するのです。そしてそのいのちが神様のものであり、抑制されていないなら、神の秩序は自発的になります。

(今日の箇所はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003002.htmlです。この文章は確かに訳出に苦労しましたが、中々含蓄のある内容を持つものです。ヘブル書12:26、28もお読みいただきたいと思います。題名はそこから取りました。引き続いて、ともに味わいながら、かつ誤訳を指摘してくださるとありがたいです。)

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