2017年1月5日木曜日

根を張り広げよう

ユダの家ののがれて残った者は下に根を張り、上に実を結ぶ。(イザヤ37:31)

 主は流され得ないものをお持ちにならねばならない。それは、動かされず、揺り動かされず、それゆえに確かに根こそぎにされ得ないものに違いない。それが主の選ばれた残りの民だ。主はご自身の栄光のために残りの民を持たれねばならない。そして残りの民がそうなるように主はあらゆる手段を用いて、彼らが下に根を張る性質にしたがうようにされる。もちろん上に実を結ぶためだ。

 上に実を結ぶこととは、すなわち天的いのち、天の御座に座ること、そして主とつながっていただく私たちの豊かな実である、働きと戦いについてたくさんのことが語れる。それはひとえに私たちの根が張られて初めて可能なのだ。根が張られるためには私たちは何物も転覆し得ないように根がしっかり根づき揺り動かされるところのない場所へと到達しなければならない。今日そのことは主がご自身の霊的な民とともになしておられることの非常にたくさんの事例を説明することだと私は信じている。

 神の真の子どもが今日強烈な試みを通過し霊的に試されていること、いずこにあってもそうだということはまことである。何故だろう。主は地獄が無能力であり、それによって全宇宙にご自身の権能の力を証明するものをお持ちになっているからである。その権能によって立ち続け抵抗するのだ。もし誰かが今の時代の教会にとって究極の問題は何かと問われたのなら、私なら教会が立ち続けることだと言いたい。そしてそれはものすごいことを言っているのである。それは確かに限定したことだと皆さんはおっしゃるだろう。しかし、皆さんはそれ以上のことをもっと期待しないのだろうか 。つまり進歩、前進、一掃する動きをだ。教会は身を粉にして最後まで立ち続け、その働きが勝利となるであろう。

 あらゆるものがあなたのまわりで大吹雪のように吹き荒れる時、すべてが暗くなり怪しげになり、神様までもが遠くになり、おられないかのようになり、信仰が試され、右左と攻撃され、表面上はあなたが行動し、あきらめ、倒れ、降参し、立たんがために水準を下げるあらゆる理由が存在する。しかし信仰にあって動かされないことが最大の可能性のある勝利となる。私たちは深い経験を通過しており、敵がそれをなしているが、主は敵を妨げられない。しかし私たちは私たちの神の御力をさらに完全に知り、あらゆる以前の動揺にまさってさらに深く根を下ろすようになる。こうして主は揺り動かされない民を持とうと探し求めておられる。彼らに対しては傲慢と高慢をもって誇示する地獄は何も出来ないからだ。「のがれて残った者は下に根を張り、上に実を結ぶ。」それが主が必要とされることなのだ。

(今日の箇所はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003003.htmlです。)

0 件のコメント:

コメントを投稿