2017年1月12日木曜日

生ける神様との生きた交わり

わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。(ヨハネ14:19)

 今日かなり多方面にわたり、かつかなり広い範囲を越える神様との交わりは生きた交わりとはなっていません。神様についての知識はあります。神様を礼拝するかたちはあります。神様とつながる儀式はあります。そうです、神様に祈り、礼拝し、神様を知り、おそらく神様に対する願いを多少なりとも判断する認識もありますが、神様との生き生きとした交わりが不足しています。

 しかし、主が生ける神様であるということは、主と交わっている人は生きているはずであります。主は仰りたいのです。「わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。」と。神様との生き生きした交わりは可能です・・・その交わりはいくつかの死せる儀式をともなう交わりではなく、生けるお方との交わりです。けれども私は訊ねねばなりません。あなたはその生きた交わりをお持ちですか、と。あなたは組織、儀式に追随しているのでしょうか、それとも生ける神様との生きた交わりをお持ちですか、と。主は主とのそのような交わりがずっと生き続けることを強く望んでおられます。

 あなたが生ける神に近づくことを知っていることはたいせつなことです。あなたは正しいか間違っているかどうかはわからないのです。そうです、あなたは生ける神様を持っていて神様に求めるのです。神様は寛大です。神様は近くにおられます。生きていらっしゃいます。あなたは神様と交わることができます。生ける神様と生きた交わりを楽しむのはまさにどのように主が考えておられるかです。

 神様の心からなる強い願いは、あなたが神様を生けるお方であるとみなすべきだということです。「神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(ヘブル11:6)私たちは神様に近づくとき、神様がおられることを信じなければなりません。それは宙を、すなわち空虚で空しい宇宙を探ることではありません。そうでなく、私たちは生けるお方に近づいているのです。そして主がおられることを信じているのです。それに関してあいまいなものは一切ありません。

(今日の箇所はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003010.htmlです。2017.1.29Translate。) 

0 件のコメント:

コメントを投稿