読む箇所:ヨハネ7:1,2,14,37〜39
この箇所は仮庵の祭りの行われているところで、民数記29章にまで戻ります。もし、その箇所をご覧になればこの祭りの大いなる日に至るまで何が動因となっているか、わかるでしょう。あらゆる様々な捧げ物が主の前に差し出されました。(捧げ物は全部その章で言及されているので、それらを一々列挙する必要はないでしょう)それから祭りの最後の大いなる日がやって来たのです。
その日は「仮庵の祭り」と呼ばれますが、「ラッパの祭り」とも呼ばれます。その最後の大いなる日に祭司たちは、水の入った大きな器を運び出し、そこからエルサレムの宮の段の最上部にその水を注ぎ出すのです。そのため、大変な水かさとなって流れ下りました。イエス様はその時前に進みでられたのです。イエス様にあってあらゆる捧げ物が神様の前にあらわされています。
人としてのイエス様はあらゆる捧げ物といけにえのあらわれであり、あらゆる神様の要求を完成するものとしてご自身を主に差し出されるのです。それからこの仮庵の祭りの日に来られます。民数記には「ラッパが吹き鳴らされる日」(訳注:民数記29:1)と言っています。イエス様は言うならばラッパを手に取られて「大声で言われた」(ヨハネ7:37)のです。ここに型としての仮庵の祭りのラッパがあります。イエス様にあってあらゆる捧げ物が完成されるのです。神様は完全に満足され、その結果、御霊を充分に注ぎ出すことができるのです。イエス様はラッパのように「わたしを信じる者は(略)その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」と叫ばれました。
これが新しいイスラエル人であるすべての人々の相続財産です。あなたの相続財産でもあります。もし、神様のみことばが真実であるなら、また、キリストの言われたことが真実であるなら(そしてキリストは大声で叫んでそのことが真実であることを知らさせようとなさったのですが)、そしてあなたと私がイエス・キリストを自分たちのための神様の完全な満たしである、つまり神様がご自身に約束しておられたあらゆるささげものをもたらし、あらゆるいけにえと捧げ物を満たすお方だと受け入れるなら、その時キリストの叫びは私たちにとっても真実なのです。
生ける水の川は私たちから流れ出て、他の人々は私たちをとおしてキリストのいのちを受け入れることができるのです。私たちはキリストの水路であります。そのことはすべての本当の信者とともにどのようにあるべきかが示されていますが、イエス様は私たちのために完全に神様を満足させてそのことを可能にしてくださったのです。
だから、新しいイスラエルの人々は自分たちから川が流れ出る人々でなければなりません。あなたの信仰を信じ、確信を持ちなさい。黙っていてはいけません。ラッパを取り出し、人々に聞かせてください。そうすればあなたが主イエス様を証し始めるとき、他の方々がいのちを受け入れることに驚かされることでしょう。何かが彼らに起こります。もし、あなたが口を閉ざしたままで、家でも、近所でも、職場でも主イエス様を証することを拒んでいるなら、御霊の川の流れをさえぎることになります。あなたはあなたから流れ出てくるはずの川の流れをさえぎっているのです。
さあ、もし、今まであなたがそうなさったことがなかったら、試みてください。私はあなたに伝えたいのです。あなたの証をとおして主イエス様のところに来られる方はあなたにあって解放されることでしょう。その結果あなたはもう二度と口を閉ざしたままでいたいとは思われないでしょう。
口を閉ざしたままでいる大勢のみじめなクリスチャンがいます。話し過ぎるのですが、主イエス様を十分話さない人がかなりいます。そのために自身のクリスチャン生活を台無しにしています。主イエス様のラッパを取り、大声で言いましょう。そうすれば、御霊の川が流れ始めるでしょう。
新しいイスラエル人である私たちは、私たちのために神様にとっては、また私たちにとっては神様からと、いずれにとってもイエス様が全く十分であると宣言し、仮庵の祭りを守り続ける必要があります。
(40年以上前、私は度重なる大学受験失敗のため、劣等感の虜になっていました。今もその性質は根強く残っています。しかし、私は今日の聖書の箇所、ヨハネ7:37〜39を信じて、根本的にそこから解放されました。人にはそれぞれ賜物が創造主から与えられており、それだけでなく、神の愛はイエスを信じる者の内側から溢れ出る愛となって流れ出ることを瞬時に悟らされたのです。もちろんそのときはオースティン・スパークス氏がここで明らかにしようとしている委細は知りようもありませんでしたし、知ってもいませんでした。聖書信仰は全聖書を知って信じるものでないと私は考えます。私のように無知であり、ほんの一部の聖書しか知らない者であっても、みことばを信じる者に確かな生き方を与えてくれるのです。そしていったん信じた者に聖書はさらに深く深くその真理を伝授してくれるのです。)
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