2011年8月22日月曜日

神を良く知るとは何と素晴らしいことか

しかし、自分の神を良く知っている人々は堅く立って事を行なうのです。(旧約聖書 ダニエル11:32)

(神は王座についておられます。そして世界情勢を処理するのに必要なあらゆる力やあらゆる用意を備えておられるのです。しかし神は人々を通して権力と権威と栄光が完全に行使され表されるように、選び任命されました。その人々とは神の満たしのうちに神を個人的に知る基盤に立って神との生き生きとした結びつきへと招かれて来た人々であります。
 新約聖書はその勝利の大いなる啓示であります。)

十字架の後、神の力のすべての満たしは、その十字架に よって主と完全に一つとされた人々を通して世にあらわされました。それは偉大な世の体系によってはまだ知られていない世界情勢の上に及ぶ大変な力の解放を意味する特別な知識であります。

第一にこの神についての知識は啓示によるものだということを忘れないでいましょう。私たちはこの神についての知識を単に聖書の字面を読んだり、人から聞いたり、集会に出席することによって得ることができないのです。

(人々は主の民の集まりを見回す時、どの集まりにも、修養会にも、どれだけたくさんの人がこのことを個人的な啓示によって体験し、またどれだけたくさんのものが話し手が言うことを聞いて来たことに代置するものであるかを知って驚くばかりです。もしこのことが聖霊があなたの人格に働きかけ、個人的な啓示と内なる人の誕生によってあなたの一部分となられないのなら、その時あなたはあらゆる真理を可能なものとして聞くことはできるかもしれないが、効果はないことが明らかになるでしょう。理屈として、また教えとしてこのことを初めから終わりまで知っているあなたがたのうちで、どれだけの人が一体その働きのために神の並外れた力の媒体となっているでしょうか。)

あなたはそのことのすべてを知的な理解力によって理解し用語や聖句を知り使うことはできるかも知れません。しかしこのことの原動力になる力についての理解はどうですか。置かれた状況において私たちの人格は何をしようとしていますか。その力はたとえいかなる人間的な基盤の上で重視され得ないことであったとしても、しかし世の組織、世の方法、世の資源によって代表される力よりははるかに大きい力であるることが重要なことと考えられているでしょうか。それが最も大切な問いなのです。このことが今生きていますか。それとも修養会を通してその知的な理解をもう少し獲得したことで終わってしまったのですか。私たちはこのことにおいて神を一人一人の内側に働く啓示に導かれて知っていますか。

(パウロはこのことを強調しています。「主が御子を私のうちに啓示することをよしとされ た」(ガラテヤ1:16)「啓示により、人からではない」(同1:12)「私は使徒に相談するためにエルサレムに上らず、アラビヤに出て行った。このこと が私のうちに成し遂げられた」

あなたがサハラ砂漠のど真ん中に突然追いやられるかどうかは問題ではありません。あなたはあなたの神を知り、あらゆる自然の助けから独立して立つことができるのです。このことがあなたのものとなったのです!それが力を意味する知識の本質なのです。それが世に勝利する経験の本質なのです。それがあらゆる他の仕組みを沈ませ、あなたにそれらにまさり凱歌をあげさせるものの本質なのです。それが初代教会の秘訣でした。王様たちに彼らが好むことをしてもらいましょう。人々が怒るにまかせましょう。そのことが続くのです。このことの前に粉々になるのはローマ帝国であって、ローマ帝国の前に沈没するのはこのことではないのです。それが独立した一人一人の神の知識であり、生きている内なる人の誕生の結果であります。客観的な真理であるだけでなく、主体的な力であって、もっとも微小な断片である知られた真理がその働く能力において生き生きとした個人の体験となる素晴らしい日です。それが私たちが求めていることです。 じかに得た知識であって二番煎じの真理ではないのです。願わくは神様がこのことが私たちのものとなるまで私たちのまさしく人格のうちに働いてくださいますように。あなたが好むなら断片的にでも取り上げなさい。そして主があなたのうちに成し遂げてくださり、あなたのうちにそれが生きるように願い求めましょう。)

第二にそれは苦痛の方法によって来るものです。あなたにとって啓示されたことを真理として、また恐らくはキリストの十字架についての何かあるいはサタンに対する勝利ととらえ、そのことを知っていると思い、言うでしょう。これは素晴らしい!。そしてあなたはそのことを話し始めます。ところが間もなく何かが起こります。あなたの環境に手が触れられるのです。今やあなたはこの真理を受け入れます。恐ろしい苦痛の渦に落ちこみ、地獄の門にまでまっさかさまに落ち、あなたの存在は奥深いところから混乱させられ、四六時中、あの真理は有効なのだろうかという疑問がおこります。果たしてうまくいきますか。あなたが落ちるところまで落ちてしまったとき、肉と自我が取り扱われ、主に勝利を求めて真剣になってすがるのです。そのとき明らかになり、あなたはそれを存在の深淵にいたるまでそのことを試みたのです。そのことはあなたのものとなりました。そしてそれからあなたは恐ろしい戦いと暗やみの中にある他の人のところに行って、次のように言うことができます。「私は知っています。このことを知っています、神は真実であることを、また勝利を知っています」あなたはあなたの知ったことを大変強調します。それはあなたがもはや疑いなく持っていることです。なぜならあなたはその深部にまで降りて行って明らかにされ、 まさしくその痛みを経験することによってそのことが明らかであることが証明されたからです。

(それがそのように自分の神を知り、大事にする人々です。世界の あらゆる他の力よりももっと偉大な力があります。その力はあなたを通して仲介されるものですが、それはあなたが痛みと悩みを通して個人的な体験をもとに神様を知るものとして初めて仲介されるものです。
 それからこの神を知る知識は絶対的に無条件の服従によってはじめて生ずるのです。・・・)

(今日の箇所は The People That Do Exploits の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003335.htmlです。かっこ内はいずれも読者のために原文に増し加え訳したものです。)

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