神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。(新約聖書 1コリント1:9)
(主が与えてくださったと私が感じている実際的なメッセージに入る前に、一二予備的なことを申し上げたいのです。もし皆さんが、キリスト教の内、外にある今日の状態について何かをご存知なら、今の時代の最大の必要はキリスト教を再評価すること、つまりキリストのもとに来て、受け継ぐものを新しく理解することにあるという私の考えに同意してくださるだろうと思います。キリスト教の本当の特質や本質についてたくさんのもの、非常にたくさんのものがこれまで失われて参りました。たくさんの歪曲があり、その結果混乱を招きいてきました。繰り返しますが、今の時代に必要なことは私たちがキリストを受け継ぐとき、受け継ぐものがどんなことかを再び示すことであり、理解することであります。)
今は安っぽい時代です。「できるだけ安くかつ急いで、ほとんどお金をかけないで、退屈なしに獲得せよ。」「急いで獲得せよ、たやすく獲得せよ」そういう考えが全世界の仕組みを支配しています。すべてのことが今や容易になされ、速やかになされるようにと隊列を整えているのです。台所にあっても家事やありとあらゆる他の分野にあってもそんな風なのです。この世にあって真実なことが今や霊的にもほとんど真実となってきました。水準はおそろしく低下されてきました。大きいことが偉大さに置き換わりました。偉大さ、もはやそのことばの本当の意味が考慮されないのです。ああ、どんなに「大きいこと、そうだ、より大きければ大きいほど確実に最大の成功に満ちている」と聞かされることでしょうか。しかしこれは聖書とは、すなわちあらゆる福音とは完全に相反します。気楽なこと、軽さ、魅惑的なこと、興奮させること、情動、こういうものが今の時代の道理です。今話しているこの性急さはキリスト教にかなり大きく入り込んで来ており、その結果私たちのまわりは全く貧相なタイプのクリスチャンがいるのです。
しかし、今特に若い人の側で確かなものを求めてあきらかな伝道活動があることを私は大変喜んでいます。若い人たちは不確かなものに疲れ、病んでいます。そのことは、もし彼らが実体あるものを見出し、今日惜しげもなく言いふらされている代用品、それは実体があるように見え、幻想でしかないのですが、そのところに行きさえしないなら大変良いことです。(1~2頁)
主にあって喜んでいることに関して言うならば、時々幸せであることと喜びに満ちていることの間には大きな隔てがあります。「幸せ」は「出来事」に依存します。ところが「喜び」はたとえどんなことが「起ころう」とも持続するのです。いいでしょうか、これが私が初めに言わなければならなかったことです。私たちがキリストを受け継いだ時、私たちが受け継いだものの本当の性質を取り戻しかつ再評価する必要性があるのです。(3頁)
パウロは窓を開き、ちょうどピリピ人へのその手紙で「神の御姿であられる方」(ピリピ2:6)と言い、私たちに一瞥させています。他の何ものよりもはるか以前からこの方はおられ、私たちはこの方を受け継いだのです。そして交わりという言葉どおり、私たちはこの方との「お交わりに召されている」のです。(5頁)
私たちは何らかの非常に小さく、軽い、つまらないものを受け継いでは来ませんでした。たとえどんなに私たちがコーラスなどを喜んで歌っていることであっても、このことはちゃちなことでないことを覚えてください。このことは小さいことではありません。いい加減なことではありません。このことは全世界を受け入れることであり、私たちはその交わりへと召されているのです。いいでしょうか。私たちは交わりがどんなものであり、交わりのうちに誰がいるかをさらに知らねばなりません。このことはまだ主イエス様を讃える始まりに過ぎません。私は皆さんが愛しているお方、また救い主と主とお呼びしているお方の素晴らしさを新たな思いで一瞥されるようになることを祈ります。(11頁)
(今日の箇所はCalled Unto the Fellowship of His Son - Chapter 1 の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003322.htmlです。このメッセージはオースティン・スパークス氏が生前語ったものの聞き書きですから、ここで今と言われているのは、少なくとも今から4、50年前の時代です。文章中にも訳しましたが原文を以下に載せます。While we are going to be joyful in the Lord, sometimes there is a large gap between being happy and joyful. "Happy" depends upon "hap": "Joy" goes on whatever "happens." 味わうべき言葉だと思われませんか。)
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