悲しいかな、余りにも地上的な人の存在。天を仰げ!(京都祇園にて) |
まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。(新約聖書 ヨハネ1:51)
(これらの章(訳注:ヨハネ8:12~9:41を指す)が8章と9章とに二分されているのは残念です。なぜなら9章でイエス様はイエス様が8章で言って来られ
たことの真理を、きわめて実際的な方法でお示しになっているからです。このできごとが地上的なイスラエルの背景のうちにおかれていることは極めて明白であります。そしてこの長い記録の部分は肉にあるイスラエル人が盲目であることを示すために意図されているのです。もし人々がイスラエル人がいかに盲目であるかを示そうものなら、これらの人々と口論になることでしょう。イエス様がイスラエル人自身の正体を明らかになさっておられるのです。それがイエス様が彼ら自身が盲目であることを示そうとやむにやまれずなさっている当のことがらです。
事実はこれらの人々は全く見えていなかったということです。彼ら(訳注:8章
の)は、その男(訳注:9章の)が生まれながらの盲人であったのと同様に霊的に盲目であったのです。それがために私たちがここで知ることはイスラエル人の盲目が話題とされているということです。そしてそれはすべて主イエス様が持ち込まれた新しい霊的イスラエルの特別な性格を示す目的があるのです。
しばらくその話題から離れますが、みなさんはそのことは覚えておいてください。なぜなら私たちが今問題にしているあらゆるこれらのことを包含する一つの大きな真理があるからです。それは)
神様がかつて表明されたいかなる考えも滅びることはないということです。神様があらわされたどんなお考えにも間違いはないのです。神様は古のイスラエル民族の概念や構成においてまさしくご自身の考えを表現されたのです。そのお考えはイスラエルについて言われたことの全てのうちに、またイスラエルにおいて神様のご計画に関してあらわにされたことの全てのうちにありました。神様はイスラエルに関するご自身の考えをありとあらゆる方法で表現されました。そのイスラエルが神様のお考えに答えることに失敗したのです。イスラエルに関するお考えは彼らの反抗心のゆえに決して十分には認識されなかったのです。そのためイスラエルは(神様から)やり過ごされましたが、神様のお考えは捨てられなかったのです。これらのすべての同じ考えは今や新しいイスラエルのうちに受け入れられているのです。
イエス様ご自身がすべてをふくむ新しいイスラエルとなられているのです。皆さんは覚えていらっしゃるでしょう。イエス様が名前がイスラエルと変えられたヤコブに言及され、ナタナエルに向かって言われたのです。「天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」そのようにイエス様は人として新しいイスラエルなのです。神様と天が人と交わりをもつすべてはイエス様の道、新しいイスラエルによるのです。過去の時代の神様のお考えは最初の段階で主イエス様に受け入れられているのです。かつて神様によってイスラエルに関して意図されましたが、イスラエルによってなくされたすべてのことは主イエス様のうちに移され、それからイエス様によって、イエス様の友や天からの召しを受けている霊的な新しいイスラエルに移されるのです。
これがあなたがたのために非常に大きな領域を開いていることがらです。
(神様のイスラエルに関するみこころのすべての特徴を数え上げることは恐らく不可能でしょうが、私たちが言わんとすることをちょっとお示ししましょう。ご存知のように神様はイスラエル人を外見において他の全ての人々とはっきり異なるものとして区別されたのです。
※イエス様の友とはイエス様が見るように見る人のことを指します。あらゆる交わりの中でそれはどれほど真実であることでしょうか。もし二人の人が似ているように見えないなら彼らの間の交わりは本当は全然存在しな
いのであります。あなたは一緒にいたいかもしれません。けれども人があなたが見るものを見ない時、一緒にいることはどれほど困難なことでしょう。You can go so far and no further. 聖書は言うのです。「ふたりの者は、仲がよくないのにいっしょに歩くだろうか」(アモス3:3)本当の交わりは相互理解の上に安らぐのです。そして私が思いますのに、イエス様がご自分を理解する人を持つこと以上に切に懇願しておられることは何もないのです。これが神様がいつも求めておられたことです。そしてこの考えが御子に受け入れられ、御子の友達に伝えられるものです。ヨハネは言います。「もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち」(1ヨハネ1:7)主との交わり、相互の交わり、それはもし私たちが光の中を歩んでいるなら(可能なのです)。言わせてもらえば、
みなさんは、何はともあれ、ことばにおいてたくさんの光を受けてきたのです。私の言うことができることはこれだけです。光の中を歩みなさい。そうすれば自由になります。)
(今日の箇所は The On-High Calling, Volume 2 - Chapter 3 の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003388.htmlです。今日の箇所は全文引用してこそはじめて理解できるところですが、長くなるので全文を引用する代わりに文頭と文末を追加採用しました。※のところは文末の文章です。きわめて含蓄のある文章だと思います。)
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