これは不思議、もみの木の美しさ、朝目覚めて窓を開けて気づく(長野県御代田) |
私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。(新約聖書 ガラテヤ1:12)
勝利し、続ける力にとっては、私たちのうちにおられる聖霊による啓示だけが十分でありうるのですが、そのことは現に可能なのです。それは人の霊の内側にある啓示であって、たとえそれがどんなに神についての真理であったとしても、決してその精神的な真理の認識ではないのです。「私は知っている」と言うことが出来る力はかつて聞いたり読んだりしたことでなく、「私は知る」ということです。啓示により知ることは、私たちから何ものも奪い去ることが出来ない経験です。
この聖霊による啓示を持つことが絶対的な基本です。なぜなら私たちは神から出るものを除いて何ものも反対することが出来ない悪霊の力に遭遇しなければならないからです。「あなたは私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました」(訳注:詩篇4:1)とありますが、どのようにしてでしょうか。それは内側にある主のいのちが絶えず現われて来るからです。悩み、試み、悲しみ・・・このようなものに私たちは支配され、そのようなものは全ての人間にとって共通することですが、内側にある「主の力による強さ」によってそれらは凌駕できるのです。
私たちには神を知る知恵によって与えられる主の光があるゆえに強いのです。(エペソ1:19)これは日毎に大きくなる啓示です。パウロはエペソの聖徒たちに書いていますが、それらにはどんなにすばらしい出来事があったことでしょうか。パウロがエペソの人たちと別れるおりの言葉(使徒20:17~38)をごらんになってください。そのような人に向かって「あなたがたが理解する力を持つことができるように」と言い、啓示によってもたらされる神の強力な力の必要性を示しました。敵である悪魔は啓示に強力に抵抗します。悪魔は啓示を駄目にし妨害するためなら手段を選ばないでしょう。
光と力は伴うものです。忍耐力は「私は知る」という啓示によるのです。真理が啓示され、その真理が確立される、このことがサタンとサタンを宿す人に衝撃をもたらします。光が力に先行するのです。主が目を開かれるとあなたは起こっていることがわかります。「あなたの心の目がはっきり見えるようになって、知ることができますように」(訳注:エペソ1:18,19)というのが、開かれた目の結果です。「主イエスをよみがえらされた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせることを知っている」(2コリント4:14)
「わたしはあなたを彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らすために遣わす」(使徒26:18)パウロは主イエス様によって人々の目を開かせて暗やみから光に、そしてサタンの支配から神にあって御国を受け継ぐ者へと立ち返らせるためにメッセージを携えて行くように遣わされました。これが目が開かれた者が受け継ぐものです。主の主権は開かれた目に続くのです。
(今日の箇所は The Cross and the City of God - Chapter 4 の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003285.htmlです。)
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