2011年5月11日水曜日

わたしから学びなさい

薔薇の花 満面に笑み 人に寄せ ただひたすらに 犠牲となりし
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。(新約聖書 マタイ11:29)


キリスト者の最大の仕事はキリストを学ぶことにあります。このことは単なる学びが主題ではないのです。皆さんにお尋ねしたいです。あなたの人生の最大の願いは何ですか。私の願いと同じものでしょうか。私の心にある最大の願いは(長く生きれば生きるほどその願いが強く強くなっているのですが)主イエス様を理解することです。


私には主イエス様についてわからないことが余りにも沢山あるのです。私はいつも主イエス様についてどのように扱っていいか分からないことに反する思いが出て来るのです。それらは決して知的な問題ではなく、霊的なことなんです。心の問題なのです。なぜ主イエス様はおっしゃり、確かなことをなさったのですか。なぜ、主はご自身と同じように私を扱われるのですか。主はつねに私には余りにも深すぎるのです。だから私は主を深く知りたいのです。人生にとって最も大切なことは主イエス様を理解することです。


いかがでしょうか。私たちは地上にいますが、主は私たちにご自身を少しでももっとよく理解させようとなさっているのです。ことばの材質は新しくはならないでしょう。昔からよく知られている聖句でしょう。おそらく私たちはヨハネによる福音書を大変よく知っていると思っているでしょう。 でも、皆さんはそうかもしれませんが、私は知っていないのです。私は、この福音には私が知っているどんなことよりももっと深い真理と価値がふくまれていることを日々発見しているのです。


弟子であることの一つの仕事は、主を知ること、さらに、主が弟子たちにするように求めておられることをなすことです。「あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい」(マタイ11:29)イエス様は天にある知恵をご自身の者である人に教えるために来られたのです。私たちは人の子であるイエス様によって天にある知恵を知るのです。それは単に主が言われることにとどまりません。主がわたしは何々であると言われるご存在そのものであります。真の教師であるどんな人も多くを語る人ではありません。その人が語る時、その人自身について何かを与える人であります。

(今日の箇所は Discipleship In The School Of Christ - Chapter 1 の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003180.htmlです。 )

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