2011年5月25日水曜日

強められなさい!

昨年もこの薔薇を載せましたが、もう間もなく終わりです。少しアングルを変えて
主にあって、その大能の力によって強められなさい。(新約聖書 エペソ6:10)

主は、私たちが成長するために、またご自身の木々となさろうとして、温室には置かれません。主は嵐や困難から私たちを守られることはなさらないのです。主は私たちが厳しい嵐や困難や試みという焼け焦げるばかりの太陽の下にさらされるのです。

主は私たちのうちにご自身のご性質(永遠、不朽、永続せる神様)によるものを働かせられます。それは容易にまたほとんど運び去らされることのないものです。主はあなたのうちに実質的なものを置いてくださるのです。

ああ、私たちは心配しているのです。クリスチャンになったら楽になるのよとか素晴らしい時になるよとか、あるいは幸せになり生活をエンジョイできるのよとかという誘いが、どんなにしばしばなされているだろうかと。確かにあらゆる神様がくださる喜びを感謝しますが、このことは神の家、神の町にとって真実なのです。つまり主が主の民に向かって働き、主の民を取り込もうと働き求められるのは主御自身のご性質によるそのような実質をもつ、ゆるぎない永続的な忠実さによるということです。

中身があること!ああ、実体のあるクリスチャンにとってはしょっちゅう甘やかしたり、お世話をしたり、追いかけたりする必要はないのです。彼らを続けさせたり、立ち上がらさせようとして迎合する必要もないのです。レバノンの杉のような男女。さらには荒削りされて掘り出された石のように(運ぶのに重く骨のおれるような)、強さが目論まれているものばかりのようなクリスチャンなのです。

私ができることは、もう一度神のみことばにあるものがどんなに大きな位置を占めるかを思い起こさせることだけです。「強くありなさい。主の大能の力によって強められなさい。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい」もう一度考えてください。なぜ風がそんなに激しく吹くことが許され、暴風になっているかを理解して欲しいのです。その目的は私たちがのんびりした、安手で安易でもある軽薄な生活から逃れ、実質ある人々となるためなのです。

強さ、試みを通して、困難を通して、強さは・・・古今を通じて忍耐して(身につけられる)ことです。 最後の大きな試練で運び去られていくものがたくさんあります。それですから、もし試練と困難が私たちを深め力を与える唯一の道であるなら、私たちはその時が短縮するようにもっと多くのものを期待しなければならないと思います。

(今日の箇所は Aspects of the City の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003199.htmlです。)

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