いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。(新約聖書 使徒1:7)
私たちは生活の環境や条件が変わり、今おる地位より別の地位につくなら、何かが起こり、神様の目的は実現へと向き始めるだろうと思いがちであります。しかし、主は「いいえ、環境や条件でも、全然ありません。問題はあなたですよ」とおっしゃることでしょう。
一部の人は卒業や按手礼や儀式が問題であり、自分たちが正式な地位につき、承認されれば、その時人生の目的は実現に向かい始めるものと思っています。だからこそ彼らは自分たちが仕事に任職されることや指名されるまで待っているのです。しかし、主は「儀式ではありません。任職でもありません。地位でもありません。あなたですよ。あなたが鍵なのです」とおっしゃいます。
それと平行して、多くの人が組織、社会、宣教団体、自分たちが関与している教会を見て、そこで始められる新しい日や、たとえどんなであろうともその機構が働き始めるなら自分たちの生き甲斐のある仕事が始まるであろうと期待しています。すると、主はおっしゃるのです。「教会でも、宣教団体でも、組織でも、社会でも、機構でもありません。大切なのはあなたです」
(新約聖書の)使徒1章に登場する人々は、自分たちの外側で起こることになる何ものかを期待していました。彼らはそのことを御国の再興と呼びましたが、それは、国民的な、というよりは恐らくは国際的な運動となる秩序を意味していました。それは、彼らが自分たちの立場をそこに見つけ、その任務が割り当てられ、指名され、任務につくことになるという彼らにとっては外形的な新しい秩序だったのです。すると主はすべての彼らのその考えを一蹴されて言われたのです。「いいえ、大切なのはそんなことではないのです。大切なのはあなたです。」それが明らかにされた委細のすべてなのです。私たちはそれぞれ個々人で神様のご計画のうちにあってあらゆるものの鍵となりうるのです。
(今日の文章は "But Ye..." の抜粋引用訳です。原文は http://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003202.htmlです。)
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