2011年5月27日金曜日

小羊の血のゆえに

野いちごの 力を汲みて 目を覚ませ 
兄弟たちは、小羊の血のゆえに彼に打ち勝った。(新約聖書 黙示12:11)

今日、サタンに牛耳られているかなり多くの主の民がいます。それは告発という線上でなされるもので、人々は罪を犯しているという意識のもとに置かれ、確信や平安や希望を奪い取られるのです。そして、こういう人たちはいつまでも自分自身の欠点や罪深さを問題にしており、自分たちがこうありたいと思ってもそうでないことや逆にこうなりたくないと思ってもそうなってしまうというようなことを問題にし、絶えず堂々巡りをしていることがおわかりでしょう。

彼らがサタンから解き放たれるために、父なる神様は自分たちの代わりに(犠牲になられた)御子によって、完全に満足しておられることを生き生きと体験すべきであります。現に彼らは父の御前に自分たちは受け入れられているという立場にあることを知ることです。それが解放の道であり、悪魔を追放する道です。これが反対者である悪魔に打ち勝つ方法なのです。そうです。主イエス様が自分たちの罪のために血を流してくださったという立場に立つことが完全で、多方面にわたる全面的な勝利なのです。

「兄弟たちは、小羊の血のゆえに彼に打ち勝った。」あらゆるこれらの方面で小羊の血が一番であり、すぐれている要因は罪汚れがないという主イエス様のご性質であります。そのような資格を持つ方は他に誰もいません。ああ、神様がキリストとなって来てくださったことはどんなに嬉しいことでしょうか。神様にあなたは罪を請求できますか。神様の勘定書としてあなたは罪を置くことが出来ますか。完全で全くきよいお方で、罪がなく、人となられたお方がキリストのうちにおられる神様でした。その完成のうちに現われる神様のご性質の力によってサタンはその場で倒されるのです。祝福が神様にありますように。

私たちは信仰によってそのありがたい御子の血の力を受けるのです。それが私たちの勘定書を主イエス様が完全に支払ってくださったことです。それが恵みなのです。福音の驚くべき内容です。もし私たちが自己分析を始め自己吟味に入って行くなら、それは恐ろしい仕事、実にひどい仕事であり、際限がないことでしょう。愛する皆さん。考えてもみてください。私たちが自分自身を知っていること全部と神様が私たちを知っておられること全部をですよ。

「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。わたし、主が心を探り、思いを調べ・・・」(訳者注:エレミヤ17:9~10)たとえそれら全部が事実であったとしても、あなたも私も今や神の御前で完全に罪なき者として立てるのです。もちろん自分自身のうちにではなく、キリストのうちにあってです。私たちの(罪の)勘定書の代わりに神様によって絶対に罪のない完成されたみわざが置かれているのです。

(昨日は訳に手間取り、私の力では出来ませんでした。今日はその代わりと言っては何ですが、やや乱暴な訳・意訳になりました。ご寛容ください。今日の文章は "Because of the Blood of the Lamb" の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003201.htmlです。)

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