2011年6月1日水曜日
主イエス様の啓示
私たちは「神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです」という啓示によって信仰に堅く立つ者です。「御子を私のうちに啓示することをよしとされた」(ガラテヤ1:16)
私たちはどのようにして立たせられ、その信仰が確立されることになるのでしょうか。この任に堪え得るにはどのような経験を私たちはするのでしょうか。それはただ主イエス様をこのように心の内側で知ること、すなわち啓示によるのです。しっかり立とうとする人々はこのことが生きた啓示となっている人々です。「神は、私たちの心を照らし」このことは一面であります。が、もう一面があります。「四方八方から苦しめられ、途方にくれ、迫害され、倒されているが、落胆させられない」(2コリント4:6~10 )ということです。私たちは悩まされ、苦しめられている・・・なぜでしょうか。「それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためです」(2コリント4:11)それが耐え忍ぶことではないですか。
四方八方から苦しめられているが、決して押さえつけられない!「あなたは私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。」(詩篇4:1)苦しめられると思われたことを神様はゆとりとなさったのです。投げ捨てられるが、不思議なことに立ち上がることができるのです。なぜでしょうか。またどのようにしてでしょうか。それは「神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださった」からです。だから、あなたはその苦難をくぐり抜け、生き延びることが出来るのです。
私たちの心の内には聖霊による主イエス様の啓示以外に何ももたらすものはありません。それは心の内側で主を知ることであります。決して信条や教義に知的に同意することではありません。私たちの存在そのもののうちに生き生きと働く真実な証に他ならないのです。
(今日の箇所は The Cross and the City of God - Chapter 4 の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003208.htmlです。)
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