だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(しかし)これらのことはすべて、神から出ているのです。(新約聖書 2コリント5:17~18)
新しく造られた者を左右する全包括的な法則は「すべては神から出ている」というところにあります。この事実を述べるにあたって、使徒パウロは「しかし」という言葉を用いています。「しかしすべて神から出ています」と。まるでパウロは、駆け出しかねないいのちや働き、すなわち古いもののベースの上に立ち、そこから出て来る力をもとに、それらを得ようとする衝動をあらかじめ見ていて、それを阻止しているかのようであります。
ですから、大切な質問は以下のことにあります。新しく造られた者にあってはすべてが神から発するということはどんなことを意味するのだろうか、ということ。それからそのような新しいいのちとはどんな種類のいのちであるか、ということです。この質問に適切に答えることは非常に広範囲な仕事となるでしょうし、もっとも考えられる限りの革命的なことでありましょう。
まず私たちは古いものと新しいものとの違いに関して、それからその相違がどれほど懸隔したものであるかについて自らの考えを明確にしなければなりません。加えて、神様はこれらの二つのものを全く永遠に別のものとされてきたかを知る必要があります。神様がどんなに私たちの無知や理解の遅いことに対してあわれみと忍耐を示されることはあっても、この二つのものの重なり合いやつながりは決して受け入れられないということです。それから私たちは本質的で理にかなった判断力が必要となります。それによって一方を禁止し他方に活力を与える神様を知るようになるからです。※
いつまでも残るものは、神様のためになされることではなく、神様によってなされることが残るのです。霊的な価値の基準は神様が遂行されたかどうかの判断によって決定されるのであって、決して神の名においてなされる人間の判断力や活力による人間的な活動の基準にあるのではないのです。
(今日の箇所は A New Creation の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003231.htmlです。サイト掲載の文章はA new creationという2頁ちょっとの文章の内の先頭の部分と末尾の部分のみです。※のあとに5つの要点について述べてあります。お急ぎの方は直接本文をご参照ください。)
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