2011年6月29日水曜日

御霊によって歩きなさい

わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。(新約聖書 ヨハネ6:63)

このいのちは非常に広大ないのちです。いのちは神の大きな目的に達します。私たちはその目的の一部分です。私たちは「主の目的にしたがって召されている者」です。私たちはその目的、目的のうちにある私たちの位置、私たちの能力や働きを知りたいと思います。このことはどのようなのであろうか、と。しかしそれらがどんなものであるかは、学ぶことによって知るのでなく、ただいのちにあって歩むだけです。

人間の体の働きについて科学的な知見を得ることは大層興味のあることかもしれません、しかし体を動かすためにその知識は必ずしも必要ではありません。生きることです、そうすれば自ずとことはなるのです。一息入れて腰を下ろし精神的に解決するかどうかを熟考する必要はありません。あなたは行ないます、すると他のすべてのものはそれときっちりつながり、ふさわしい秩序が続くのです。適当に息することがそのことと大層密接に連動するのです。

生きればいいのです、その他のすべてのことは自然と続くのです。別の言葉で言うなら聖霊にあるいのちを得なさい、そうすれば神の計画・秩序が続いて行くと言うことに過ぎないのです。あなたはその秩序の中に入って来なければなりません。自由になし得るものではありません。

このようにしてその目的は主の民が主とともに歩み、主に対して心を大いに開くので、主が意図されるように歩く備えがなされるところへと連れて行かれることです。時々彼らは二義的なものからなる多くのものをあとに置いて行かねばならないことになるかもしれません。それには犠牲がともなうかもしれません。誤解や孤独、そしてその他の多くの諸々のこと。しかし、もしあなたが主に対して心を開き、どんなことも問題ではない、たとえどんなに犠牲があろうとも、また、どんな人々が、あなたは大きなクリスチャンや宗教的な組織の一員として彼らの考えどおりに行動しなければならないと言ったとしても、問題にしないなら、あなたはすべて神の秘かな考えの中にすっぽりと入ることでしょう。それはちょうど花が太陽に向かって花を開かせるようにです。そしてあなたはあなたが想像だにしない意義・可能性・能力・力を発見することでしょう。主は私たちの前にそれを差し出し、それを示そうとはなさいません。私たちが御霊によって歩く時にはじめて発見するのです。

(今日の箇所は Life in the Spirit - Chapter 6 の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003237.htmlです。今日の箇所は前回の3/27の続きの文となっています。)

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