2011年6月13日月曜日

聖霊の働きはどのようにして妨げられるか

わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから熱心になって、悔い改めなさい。(新約聖書 黙示3:19)

私たちがつねに直面する大きな問題があります。それはある者は主の光の中に飛び込んで行き、そのまま進んで行くのに対して、別の者はそうしないで絶えず遅れを取り、もはやそれ以上決して進んで行かないように見えるということです。そのことは神様の側の選びは選ばれることに一種の選びがあり、その選びは神様の恣意的なものがあるのではないかということです。しかし、私はそうは思いません。それに対する答えの大部分は次の事情にあると思うのです。

はっきり申し上げれば、神様は人々が神様と真剣に取り組もうとしているかどうか、その結果、神様がはっきりとした道を持てるかどうか、その基盤になるものが神様にとってすでに障碍であるものによって占拠されているかどうかは、人々をお取り扱われる中でご存知だということです。もし人々が本当に真剣に神様と取り組んでいるなら、主が持たせたいと考えておられるすべての光を得ることはどなたもできると思います。

聖霊は私たちを知っておられます。私たちの心の深いところをまっすぐ見られ、私たちが真剣であるかどうかを知っておられます。主は正確に人が神様を妨げる何があるかを、またどれだけ進めることが出来るかも見ておられます。というのは、主は誰をも強制する御意志は持っておられないからです。もし私たちが自分自身が気がかりで心は自分のことで一杯であり、ぐるぐる自分のまわりをまわっていて自分中心でいるなら聖霊の(働く)機会はありません。自分自身がなくなるところまで来なければなりません。それがかなり多くのものにつきまとう困難です。

彼らは自身の固定観念を設定し、四六時中絶えず、同じところをぐるぐるまわり、出発した同じところに戻ってき、自身のまわりがすべてであり、それぞれ疲れ果てるのです。遠からず、彼らが主のために立っていたり、代表しているとみなされているすべてのことに巻き込まれる恐ろしい衝突を経験するようになり、倒れます。聖霊ははっきりした道をお持ちになれません。

この自己本位に関しては、もし私たちがはっきりあきらめて邁進したいのならその道から脱出しなければなりません。聖霊は正確に私たちがいるところ、すなわち主に対して心を開かないではいかなる光も全然知り得ないように一致しているかどうかを知っておられます。私たちがそれを全部経験しているか、それとも私たちが交わりを持っている人々がそれを経験しているかであり、私たちはその一部分です。私が言わんとする意味はおわかりでしょう。聖霊はそのような位置にいる人々と関わることが出来ないのです。そして聖霊はご存知です。聖霊の態度は「無駄です、わたしはそこでは何も出来ません、彼らが一致し過ぎです」けれども、もしすべてのことを水につけてしまう用意があるなら、その時、主は進むことが出来、はっきりとした道をつけることができるのです。

(聖霊はご存知です。聖霊はあなたも私も知っておられます。私たちが自分自身を知っている以上に多くのことを知っておられます。私たちは自分たちが真剣で長時間祈り、主にあれこれをして欲しいと叫んでいると思っているかもしれません。それに反して聖霊は私たちがまだ自分自身や自分自身の興味・関心が終わりとなっていないことをかなりよく知っておられるのです。
 聖霊がなさりたいことをされるまでには、私たちのうちでもっと何かがなされ、絶望へと導かれねばならないのです。けれども聖霊はご存知です。それがポイントであります。主はこの人※を知っておられました。主はこの人があらゆる明確な道への見込みをもって始めるためになすべきたくさんのことを持っていないことを知っておられました。そしてその機会が備えられたのです。主は支配するお方として働くことが出来たのです。聖霊はこの必要を満たすためにそうされたのです。)

(今日の文章は Spiritual Sight - Chapter 4 の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003220.htmlです。 ※は使徒8:26~39に登場するエチオピア人のことを指しています。本文中にある「水」というところもそのエチオピア人の受けた洗礼の水に言及しての内容です。4章の文章はエチオピア人、聖霊、ピリポについて丁寧に述べられており十分読み応えのある内容です。一読をお勧めします。その中で今日の掲載箇所は6つのポイントの一つ、「どのように聖霊の働きはさまたげられるか」のほぼ全文にあたるところです。訳が相変わらずまずく誤訳があると思います。特に真ん中の部分が訳しづらく、自信がありません。是非原文でお確かめください。一ヵ所だけ英文で珠玉中の文章と訳者が思うものを以下に載せておきます。エチオピア人についてまとめた文章です。是非、上掲の聖書箇所と平行してお読みください。益するところ大と信じます。 It comes in the Acts of the Holy Spirit, and when you come to ask the question, Why is this man included in the record and his story handed down from age to age to last as long as time? The answer is just what we have said: he was a man who meant business with God, was open to the Lord, honest in heart, humble in spirit, and obedient to the light that he had.

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