2011年6月30日木曜日

主を仰ぎ見ましょう

主と交われば、一つ霊となるのです。(新約聖書 1コリント6:17)

この関係の性質は基本的には霊的であります。すなわちそれは霊の一致であるということです。「主と交われば、一つ霊となる」「神を礼拝する者は、霊によって礼拝しなければなりません」なぜなら「神は霊ですから」。ですから、一致は霊の一致なのです。その結びつきはいかなる他の一致よりも深いのです。私たちは霊の一致以上に深く進むことはできません。その結びつきはもっとも深い、人間存在のもっとも真実なところにおける人の性質を特徴づけるものです。そして神の見るところにおいて、それが霊の領域なのであります。

霊の基盤はいのちです。 そのことはヨハネが福音書において例示という方法により、また書簡では直裁にそれぞれかなり明確に伝えています。「神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにある・・・」「御子を持つ者はいのちを持っており」(注:1ヨハネ5:11,12)それが私たちの交わりが、父なる神と御子との交わりであるという根本的な宣言に課せられている命題であるのです。交わりは神のいのちそのものを保持しているものとして説明できます。神との一致の基盤は神自身のいのちが新生した私たちに与えられているということです。そして、その新生した私たちの上に万物を神が築き、万物は重視されるのです。そうでないところでは神は結びつきに関する限り何事もなし得ないのです。

すべての神の考えに達し実現するためには、神がご自身を人のうちに存在そのものとして、すなわち神のいのちそのものを投入せねばならないのです。神は生まれながらのいのちしか持たない人のところには霊的であり、永遠であり、全宇宙的な目論見を実現できないのです。聖書はそのことをかなり明確にしています。つまり人の生まれながらのいのちはいかなる神の計画も実現する基盤を決して持ち得ない、それができるのはただ神ご自身のいのちのみである、と。このようにして神はすべての望みのためにご自身の基盤(いのち)を提供されるのです。神の望みはご自身のいのちであり、私たちのいのちではありません。神は望みの基盤を新生の範囲内に置かれるのです。その基盤の上にご自身の考えを発展しその意図を実現するように事を進めて行かれるのです。

(今日の箇所は The Power of His Resurrection - Chapter 6 の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003238.htmlです。)

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