子どもたち 神の御愛の 贈り物 (パリからの絵葉書より) |
人が霊的に進歩するための法則をあげるとしたら一体なんでしょう。それは愛です。もし私があらゆる賜物を持っていたとしても、私に愛がないなら私は何ほどでもありませんし、決して霊的とは言えません。「神の知識が増し加わる(神を愛する)」ことは「愛」とどれだけつながっているかに注意する必要があります。テサロニケの信者たちが急速に成長していった理由は何であったでしょうか。彼らの証をご覧下さい。(1テサロニケ1:8)
テサロニケの人々が立っていた位置を示すカギになることばは愛です。そうなんです。霊的な進歩は愛によるしかないのです。あなたはすべて賜物を持っておられるかもしれませんが、ひとつひとつは極めて未熟なものでしょう。霊的な知識が増すことはこれらの賜物を全部知ることではありません。またさらに知識を増す道も父なる神様を抜きにしてなされるものではありません。そうではなく、心から主を待望むことによってなされるものです。
あなたはどのようにしたらもっと神様の知恵に満たされるか知りたいと思っておられますか。それには「愛」による以外にありません。主が必要とされることはご自身に対して私たちが心を開くことであり、純粋な心で愛することであり、あらゆる聖徒を愛する愛であります。主はお互に純粋な愛があるところにご自身のより素晴らしい満たしを体験させて下さるのです。「主にあって」・・・エペソ人への手紙にはキリストのからだである教会に関するもっとも深い教えを通して天から与えられる信仰の完全性が明らかにされています。そしてその手紙では初めから終わりまで、全編を通して金色の一条の光のように「愛」が書かれています。このことはこの手紙が何を語ろうとしているかを知る上で大切なことです。
また1コリント13章も愛に関する重要な章です。ここでは愛はすべての「賜物」を脇に追いやっているほどです。愛は本質上「霊的」なものであります。愛はすべての賜物の中で最も難しく、それゆえ最も偉大なものです。「あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです」(2コリント6:12)あなたがたはまるで閉ざされた障壁のようにそんなにも心を窮屈にしています! 「私たちの心は広く開かれています。あなたがたのほうでも心を広くしてください。」(とパウロは呼びかけました)
私たちの霊的生活の物差しに(ふさわしいものとして)は私たちの心以上のものはありません。頭の中にある知識は霊的生活の物差しにはなりません。あなたが自由になって神様をもっと知るようになるのは心であります。霊性はみことばが鮮明にした事柄に対して単に精神的に同意することではありません。そうではなくあらゆる聖徒のお互いの心が一つになることです。(Spirituality is not mental agreement on things stated in the Word, it is the melting of one heart to another - to all saints.)悪魔は多くの主の子どもたちをまるでそれぞれが密閉した部屋にいるかのように閉じ込めてきました。神の子どもたち相互の間に存在するものにより、愛は凍らされます。そこから脱出する道は互いに愛が増し加わることによります。おそらく私たちがもとの状態にいるかぎりいつまでも閉じ込められたままでしょう。
真の霊性は心の中に浸透する神の愛の物差しです。すべて霊的な人は愛の上に安らぎ、愛によって立ち上がるのです。力ではありません。知識でもありません。様々な他の賜物でもありません。これらのものが最初ではありません。愛が最初なのです。愛を通して神を知る知識に満たされるのです。
(By T. Austin-Sparks from: The Increase of God より私訳。最初の数行は掲載文の抜粋では意味が不完全だと思ったのでその前の本文を参照し訳し編集を加えてある。英文を掲載したところは誤訳の恐れのあるところです。)
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