亡き義母の 植えし蝋梅 雪の中 つぼみ盛んに 陽を待ちこがる |
荒野にあって私たちの生まれながらのいのちの全貌は浮き彫りにされます。私たちは自らの弱さと空しさ、自分には何もないことを知るようになります。このようにして、私たちは今やキリストのうちにすべてがあることを知り、受け入れ、それを自らのものとすることができるのです。(キリストを)持つこと、私たちが(キリストを)受け継ぐようになる秘訣は何でしょうか。
私たちがすべてのものは「キリストのうち」にあるというところまで来ることです。キリストがすべてです。まさしくいのちそのもの、私たちの存在そのものなのです。私たちの肉の思いがそぎおとされ、存在の最深部で、もし神様が聖霊によって私たちのうちに何もなさらないなら、すべて価値がないと知ることです。キリストの満たしに入るためには、私たち自身の働きをやめにするところまで来なければなりません。
私たちは自らの弱さにへなへなと座り込んで自らを大事にしやすいのですが、主はこの点についても「立ちなさい、そして獲得しなさい」と言われるのです。あなたが受け継ぐべきものは、この地上にはありません。天にいらっしゃるキリストにあるのです。あなた自身の中ではなく、キリストのうちにあなたの満たしはあるのです。あなたの空しさに対してはキリストの満たしが。あなたの弱さに対してはキリストの強さが,、あるのです。あなたが受け継ぐものは、キリストにある全てです。それはちょうどイスラエル人が乳と蜜の流れる地に来たことに典型的にあらわされている事柄なのです。
パウロはテモテについて、「彼は主のみわざに励んでいる」(1コリント16:10)と言っています。私たちに関する限り私たちの働きは終わりです。私たちから出るものはもはや何もありません。けれどもそのようになれば、神様は「あなたの無価値にかえて私は天と地を持つ」と言われます。
そのように自らに死に、空しい人になってください。そうすれば聖霊はその御力によって私たちのうちにおられる主イエス様のきよい栄光をあらわし、また私たちを通しても栄光をあらわしてくださいます。「今、・・(天にある)支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が知られるようになるため」(エペソ3:10、11)「それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みをお示しになるため・・・私たちは神の作品です」(エペソ2:7、10)
(本日の引用箇所は下記である。
http://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003024.html
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