スコットランド・エジンバラの港に停泊していたアバディーン行きの貨物船。 アバディーンはオズワルド・チェンバーズの生まれ育ったところ |
イエス様は女に言われました。「時が来ます。今がその時です」。そうして、主はその時まで存在していた全宗教様式をおしまいにされました。その様式とは旧約聖書にしばられたユダヤ教の全体系でありました。主は一文章ですべての(人間が勝手に設けた)制度を終わりにされました。そして完全に新しい(礼拝の)秩序を持ち込まれたのです。
主は何を言おうとされたのでしょうか。主が、「時が来ます、今がその時です」と言われたのは、文字通りの何時何分という時間をさすのでなく、新しい日の最初の時だという意味でした。この時、完全に新しくされた日が到来したのです。新しい日とはいったい何でしょうか。もしあなたがイエス様に短い文章で教えてくださいと頼んだとしたら、主は答えてくださったことでしょう。「いいですか、ここにわたしはいます」と。
時とは単なる時のことでなく、人の子のこと(人の子が到来された時のこと)なんです。新しい摂理はイエス・キリストが治められることにあります。キリストが新しい神の摂理なのです。「わたしはここにいます」と主はおっしゃいました。ヨハネの福音書を読んでください。主イエス様は万事につけご自身で中心になっておられます。曰く、「わたしは道である」「わたしは真理である」「わたしはいのちである」「わたしは羊飼いである」「わたしはぶどうの木である」「わたしはよみがえりです」それが人の子そのものの姿なのです。すべての事柄の背後にあるのはその事実なのです。
キリスト教はキリストです。キリストがキリスト教です。(ところが現在のキリスト教はキリストとは全く無関係になっています)キリストがすべての始まりであり、決してキリストから離れてはならないのです。キリスト者生活の進歩とはただ生活の中でイエス・キリストが盛んになられることだけなのです。
(http://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003019.htmlの私訳です。今日の箇所は1964年にオースチン・スパークスがマニラで42回の集会を持った時の録音テープから筆記されたもののようです。その集会の七番目のものでMeeting 7 - Christ Corporate is the Churchという題で述べられたものからの抜粋です。ほぼ40年間この記録は埋もれていたようです。関心のある方は上のサイトで直接読まれると大変益を受けられるでしょう。是非ご一読をお勧めします。)
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