白椿 二輪(にりん)糟糠(そうこう) の妻挿す |
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。(旧約聖書 イザヤ53:11)
私に質問をさせてください。この地上で、主イエス様以上に神様と「完全」につながって生きた人はかつていたでしょうか。主イエス様はまことに(地上的なことから)引き離されておりその心は神にあり、その点で他のどんな人とも違っていました。どんな人も主イエス様以上に霊的な割礼のしるしを帯びて生まれた人はいません。主イエス様は(父なる神様に対して)二心を持たない、まことの人でした。
旧約聖書の偉大なメシア預言の章であるイザヤ53章に戻ってみましょう。「彼は子孫を見ることができる・・・彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する」(イザヤ53:10、11)よろしいですか。私たちは預言者イザヤがこの預言を通して知っていた以上のことをもはや知っているのですよ!
私たちはゲッセマネ※、すなわちいのちの激しい苦しみにあっている主イエス様と一緒にいたのです。そして今ではその苦しみをくぐられたイエス様とともにいるのです。それ以来どんなに多くのキリストの子孫がいることでしょう!
親愛なる皆さん。もしあなたがたがクリスチャンが極めて少なく、この世界に無数の人がいるのに、私たちクリスチャンは数えるほどしかいないと考えこまれるのなら、心の扉を開いて、黙示録の箇所に目を留めていただきたいのです。
「誰にも数えきれぬほどの大勢の群衆が・・・万の幾万倍、千の幾千倍」(黙示7:9、5:10) その数は人間のことばでは言い表され得ないものです。それらの人々が主イエス様の苦しみ以来集められて来たのです。まことに主イエス様はご自分の子孫を見られるのです。ゲッセマネという園は全歴史の中で最も実り多い園となったのです。あなたがたもこの私も主イエス様の子孫ですよ!私たちは主イエス様の苦しみを通して生まれ、今や新しいイスラエルとなされた契約の中にいるのです。
けれどもこの契約の意味と価値は主に対する愛によるということを是非覚えて下さい!このことは極めて明白なことです。最も偉大な実りはつねに「二心のない」人々、主にささげきった生活から生まれてきました。この契約には二つの側面があります。新約聖書はイスラエルの歴史から多くの警告を得ていますし、私たちももし心が二分されこの世とも神の世界ともうまくやって行こうとするなら、その契約の約束していることはことごとく無に帰するということです。
主がすべてのものを持っておられる時、私たちが失うものは決して存在しません。そしてそれが(霊的に)割礼を受けた心を持つことにより明らかになることであります。願わくは、ここにいるすべての人がそのことを信ずることができますように!
(今日の箇所は God's New Israel - Chapter 3の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003058.htmlです。1969年スイスAeschiの集会で語られたメッセージのようです。彼が召される二年前のメッセージです。※「ゲッセマネ」とはマタイ26:36~、マルコ14:32~、ルカ22:39~、ヨハネ18:1に書かれていることがらであり、十字架刑を翌日に控えた主の祈りを指します。さて、今朝は昨日までの暖かい天候と打って変わり、日本は生憎雨となっています。そんな雨中山茶花を目がけてヒヨドリやメジロがやってきます。山茶花や赤い椿は猫の額ほどの狭い庭の中で比較的幅をきかせているのですが、「白椿」は狭い庭の更に隅っこでいつも人知れず蕾をつけます。そんな椿を小生はいつも気づかず見過ごしてしまうのです。「白椿」は昔、妻がバザー会場で100円で購入したものだそうです。)