近江路や菜の花晴の朝さやにみどりたたへし春のみづうみ 伊藤左千夫 |
平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。(新約聖書 エペソ4:3)
新しい創造は一つの交わりであります。聖霊が住まわれる一つのからだであり、聖霊が働き、実際に聖霊によって一つにされるのです。「一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け」(1コリント12:13)一致は聖霊による一致であります。「御霊の一致を熱心に保ちなさい」(エペソ4:3)一致は「つくる」ものでなく、「保つ」ものであります。(一致が)ここに「新しい創造」によると言われるゆえんがあります。
いいですか、もちろん、あなたがたが新創造のいのちが意味するものを体験する時、すべてのことがらに対して戸を開く鍵がまさしくそのこと(保つということ)にあるのです。そしてそれに伴って、あなたがたは全体にわたって天的ないのちにふさわしい理にかなった秩序を取り入れることになるのです。
天的ないのちは天の法則に従います。決して法則がないということではありません。このからだに属する個々のメンバーが自らの法に従うということではありません。私たちは自分勝手にするということが許されず、このひとつにされる法によって結び合わされるのです。聖霊が自分勝手にすることを許さないのです。
私たちはその法を自分で支配することは許されません。個人として行動することも許されないのです。聖霊が許さないのです。この(新しい)いのちにともなうふさわしい秩序があります。このいのちが有機体の各部分にふさわしい自らを表すのです。いのちは聖霊に従います。
創造のこの部分は本来備わっている法に従うだけです。これが聖霊のいのちです。だから、あなたがたはこのことを組織化したり機構としてする必要はないのです。もしあなたがたがそれを始めるなら直ちに死をもたらすだけです。新約聖書によっていつの間にか既製化されてしまった型に従って新約聖書の教会をつくろうと試みることは、全然型を持たないことと同じくらい致命的です!そうすることは自殺行為です。いのちが働くなら事は成るのです。
私たちはこのことをこれまで真理を知る限り学んできましたが、相変わらず、霊的な活動に当たっても、生まれながらの肉のいのちによって支配されているのです。御霊が働く以前に無秩序があり行動があるのです。しかし私たちのやっている事と言ったら、全員が学校にいて、学校では新約聖書の基盤の上に何かを組織立てする必要がないという決まりや原則や真理を得々と発表しているようなものです。それに対して聖霊が本当にいのちの働きのままところを得られるならばことはいっぺんに起こるのです。
(今日の箇所は The Testimony of the Christ - Chapter 7 です。朝早くこちらを発ち、姪の結婚式に近江に帰り日帰りで戻ってきました。姪の結婚式には泣かされました。親子の情、新しい夫婦の誕生は何度立ち会っても感動させられます。二人のうちに主イエス様がおられるようにと祈らざるを得ません。二人ともこのブログではおなじみの近江兄弟社出身で、牧師さんの司式で行われました。その会場がこれまたいつも私たちが「近江八幡喜びの集い」を持つ会場でした。その上、会場近くに写真に示しましたように菜種畑が湖岸に広がっていました。伊藤左千夫さんのこの短歌を知ったのもつい数日前です。不思議な神様のみわざです。おかげで今日の訳は生煮えですが、ご勘弁を!原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003048.htmlです。)
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