2011年2月13日日曜日
教会の基礎は何か
多くのことが主の御名によって行われていて、それらは明白で素晴らしく、「教会」のように見えますが、神様から来る暴風のようなことがらや火のような試練によりあらゆる人の働きが試される時には崩壊するように定められています。良い働き、たとえば慈善事業や教育、宗教、社会福祉などはいわゆる「キリスト教文明」の産物や副産物で、立派と言えることがらかもしれません。しかし、これらの事柄と、「新しいいのちをいただくこと」「新生」「上から生まれること」とを混同しないようにしましょう。
教会は個人的であれ集団的であれ、人がいかなる人間的な力によっても築き上げることのできるものではありません。教会は有機体であり、組織ではありません。「見よ。私はあなたがたに奥義を示す。私たちはキリストの骨肉である一人一人である。」もしあなたができるなら、教会を築き上げてみなさい!着手し、組織を作り、「運営」してみなさい!とてもなし得るものではありません。
教会は解き放された霊的力により自然に達成されるものです。それはキリストに関する素晴らしい事実を信じ受け入れることにあり、その事実とは聖霊の力にあって体験して、つかみとらされるものです。 神学上のキリストでもなく、教理としてのキリストでもなく、文字としてのキリストでもありません。ましてや歴史上のイエスでもありません。
聖霊によって心のうちに啓示された永遠なるキリストであります。キリストは死なれ、葬られ、よみがえり、天にあげられ神の王座に着かれました。このことだけが神の家との関連性でいうならば、宣べ伝えること、仕えること、位置を占め、(教会を)「築き上げる」のです。もしそうでないならば、時間や力を費やすことは愚かであります。そうではなく、この基礎(永遠なるキリスト)の上に立って労することが賢明なのです。
( “The Servant of the Lord”から抜粋引用。 原文は以下である。
http://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003042.html )
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