2011年3月12日土曜日

父なる神様を恐れ、従うまことの平安

庭のクリスマス・ローズ 2011.3.10
それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。(新約聖書 ヨハネ17:21)

それでは、キリストとの結びつきとはどんなこと(を言うの)ですか。それは新しく創造された方である主、つまり新しく創造された子である主イエス様との結びつきです。いのちの御霊により新しく造られた者のいのちを生きる主との結びつきです。

私たちの主題はキリストとの結びつきの性質と意義にあります。とこしえの御霊による新創造のうちにある新しく創造された人の子である主との結びつきです。その結びつきの意義は何でしょうか。それはそのような結びつきによって初めて神様の働きがなされるのだということです。父なる神様との関わりの中で主が支配されることがそのまま私たちを支配するのです。何事もこの結びつきを覚えることなしにはなされません。

(だから)キリストとの結びつきは神のために行動を起こすことや、また神のために約束することではなく、 ただ良き意志※があることであります。私たちが(自分の考えで)主の栄光のためになさねばならないと理解することが奉仕の基準ではありません。

多くのことが、神のためになされねばならないと判断される時、単純だが、正直で誠実な心の判断によって手がけられます。たとえば悲劇的な事態が行動を求めるのです。私たちはその事態に対応する手段を持っていると、それを主のために行うのです。そんな風にして広範囲にして様々な企てがその基盤の上で着手されます。ところが主イエス様はこのヨハネ5章で、そうではないとおっしゃいます。

主が言われる通り、決してそうではないのです。主は事態の目に見える必要によって支配されません。主はご自身の上におこる事柄の衝撃によって何か手がければならないとする考えに支配されるお方ではありません。主にとっては(父なる)神様がなさること、特定の時に神様がなされることが問題なのです。

一つの目的を持って神様は様々な時に様々なことをなされます。時々違った強調点がありますが、キリストと本当につながっている人はその特別な時にキリストが直接事をなしてくださることに支配されねばなりません。「父がなさることは何でも、子も同様に行うのです」(ヨハネ5:19)神様の働きとの関わりで霊的に認識するすべての問題はこのつながりによって結ばれているのです。

神様がなさることが問題であり、神様が目的を実現されるためにキリストにあって主とともに(私たちが)いのちのつながりをもっているかどうかが問題であるのです。

(今日の訳出は The Meaning of Divine Life - Chapter 3 抜粋引用訳であるが、地震発生とともに頻発する余震が続いており、どうしても気になり訳出に手間取り、日を越えてしまった。文章そのものは主イエス様が決して自ら行動されるお方でなく、いつも父なる神様に従われたように私たちも主イエス様のお言葉に信頼し従うことが主題となっていた。※は原文http://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003070.htmlによるとIt is not a matter of action, or of understanding for God, however well intentionedとなっているが、intentionの内容がはっきりしない。数頁前に「主は私たちができないことをするようにと期待されているのではありません、そして私たちは自分の力で決して生きられないのです。だから、主が求められていることは私たちの態度・心持ちであり、その心持ちとは主を信頼することであります。それがすべての始まりです」という箇所がある。このお方にはいのちがあり、さらに子なるイエス様には主を受け入れる者にいのちを与える力が、父なる神様によって与えられている。地震の被害に遭われたお一人お一人のうちに主イエス様のこの上から与えられるいのちの慰めが与えられますようにとお祈りします。)

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