十字架降下 レンブラント 1654年 |
永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召されています。(新約聖書 1テモテ6:12)
復活は神様の御力の類まれなる証拠そのものであります。あなたがたは今更私が主イエスの復活について多くを語る必要は求めておられないかもしれません。
主イエスがその十字架につかれた時、すべてのことは主イエスが死んだことを確信させるためになされました。彼らは主イエスを十字架上で両手、両足を釘付けしてから、死んだことを確信するために心臓を槍で突き刺しました。
主イエスが十字架から取り下ろされ、墓に入れられた時、祭司長は言いました。「 番をして(死んだことを)確かにして欲しい」と。そのために大きな石が墓に向けてころがされ、石には封印が施されました。それから兵士たちに番をさせ、(復活に)備えたのです。主イエスが死んだことを確証するために、これ以上の何をなすことができるでしょうか。いいでしょうか、これが人と悪魔がなしえたすべてでした。
それから、そのすべてにまさり、聖書は証言します。「神はこのイエスをよみがえらせました」(使徒2:32)と。何という素晴らしい出来事でしょう! 復活とは。
そして、主イエスの復活のいのちのすべての潜在力は神の子どもに与えられるのです。私たちはこのまま終わりまで歩み続けることができるのです。なぜなら私たちには彼の復活のいのちがあるからです。主が「もう十分です、さあ、天に上ってきなさい」と言われるまで、神のいかなる子どもも死ぬ必要はないのです。死といのちは神様の御手の中にあります。どんなに素晴らしい経験であることでしょうか! 私たちがこの神のいのちにあずからせていただくとは。
私たちはこの他にも神様の御力の多くを言い表すことができます。すべてが全く素晴らしいことです。(もちろん聖霊のものである以外のものは何も与えられないのですが)全部のことと言いましたが、類まれなることは「キリストの復活の力」(ピリピ3:10)です。それが神の子の受け継ぐものであり、あなたがたと私が今知っていることであり、私たちのいのちの日の続く限り知っていくものであります。「永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召されています。」(1テモテ6:12)
(今日の箇所は Into The Heart of God - Chapter 6 の抜粋引用訳です。 原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003111.htmlです。)
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