今年も花を咲かせた馬酔木(あせび) |
しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々が求めるようになろう※。(旧約聖書 ハガイ2:6~7)
そのことは考えることすら恐ろしいことのように思われます。しかし私たちがいわゆる「キリスト教」というものに言及する時、広範囲にわたる多数の自称・クリスチャンと言われる人々は完全にまちがった立場に立っており、その仕組みそのものが大変、大がかりに地上的、伝統的、形式的でありかつ霊的でないものになっていますから、この世界的な揺り動かしが全く必要であり、最終的にはその揺り動かしは正当なものと(認めないわけにはいかなく)なるでしょう。もし論を進めるなら、「キリスト教」と呼ばれるものは本当はキリストの最大の敵であることを示すことになるのです。
それは古くなり貧弱になっていたり、あるいは悪くなっていたりする仕組みをもっと別の良いものに置き換えることではないことだと知らされることでしょう。何人かの人々はそれは全面的に秩序や方法やそれに形式の問題であり、もし「新約聖書」の形や教会の秩序に立ち返るならばすべてはうまく行くだろうと思っているようです。
(しかし)事実は定められた事柄が新約聖書の教会を特徴づけることはあったとしても、新約聖書はそれに従えば教会が存立したり形成されるような完全な模範を示すものではありません。新約聖書には教会の青写真はありません。新約聖書の教会を(形として)形成しようとすることは、他のものと同様に別の仕組みを正当とし、分派した、死んだものを生み出すに過ぎません。
新約聖書のような教会はいのちがあふれる有機体であります。教会のいのち自身は信者そのものの存在のうちに刻印されるキリストの十字架から湧き出てくるものです。(従って)もし信者が十字架を経験した人々でないなら、新約聖書の教会の本当の現われとはなり得ないのであります。
(今日の箇所は Things Which Will Be Shaken の抜粋引用訳です。 原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003098.htmlですが、誤訳の恐れを覚えるところがあります。読者の方で指摘し、訂正してくだされば感謝です。引用聖句は英国欽定訳だと思いますが、※の原文はThey shall come to the Desire of All Nationsです。これもご検討ください。なお新約聖書ヘブル人への手紙には「あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。『わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。』この『もう一度』ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けている・・・」ヘブル12:26~28 とあります。)
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