暗闇を 照らす蝋燭 罹災者 のうめき叫び 聞き輝けり |
もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。(新約聖書 ローマ6:5)
私は皆さんに思い起こしていただきたいのです。このつぎあわされるということの本質はまことに私たちが大変慣れ親しんでいることであるということです。「 キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じように」これは使徒のことばです。
「もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。」非常にしばしば敵(がやること)は私たちがもっと深くキリストの死につぎ合わされるための道具(にすぎないということ)であります。彼の脅迫、攻撃、告発すべてのものがそうなんです。
主は悪の源泉ではありませんが、主が悪をお許しになっているのです。非常にしばしば私たちの心は叫びます「なぜ、主は私たちの生活にそんなことをいつまでも許されたのですか」それほど深刻で暗い経過をたどってきた、そのことを指してです。
なぜ主は許されたのでしょうか。主はそれを妨げようと思えば出来たことでしょう。いいでしょうか。私たちは主イエス様の死につぎ合わされたのです。私たちは自身の目的から言って、かつてよりももっと多くのものを授けられたのです。そうです。だから私たちがかつて主を知っていたよりももっと大きな尺度で主を知り、今度は悪魔が私たちを揺り動かすことがそれほど容易でないところへと招かれるためなのです。
それがもっと深い死の経験をなさった神様の支配的な方法であります。「 キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じように」皆さんは初めそこにつぎ合わされなさいましたか。十字架におかかりになったキリストのうちに根ざしなさいましたか。それともあなたは何か(別のもの)に愛着している者のお一人ですか。あなたは(果たして、キリストに)根を下ろしていらっしゃいますか。
もっと深く根を下ろす必要がある時、それは深く掘り下げられることであり、その要点は最も確かなこととして立つための忍耐、持続、能力が導かれつつあること、ああー、ですが、さらに多くの実が実ることであることを(是非)覚えていただきたいのです。
(今日の箇所は Rooted and Grounded の抜粋引用訳です。 原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003097.htmlです。昨晩は初めて停電の洗礼を当地でも経験しました。停電解消後のNHKTVで見た被災者の方々の苦悩を思うとき、もはや言うべき言葉を失し、家族中、呆然と画面を見射るばかりでした。しかし、聖書はそんなわれらに主イエス様の十字架の死を覚えなさいと繰り返し「神の愛」を語っています。「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。」「恵みが、私たちの主イエス・キリストにより義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させる」ローマ5:9、21 )
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