わが町の図書館の前庭にはたくさんの草花が植えられている。「草ぼけ」である。 |
しかし、生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。(新約聖書 1コリント2:14)
(それから、パウロの言葉の背景には、土台であるキリストについての言及があり、彼が言うには何人かの人がその土台の上にたくさんのがらくたやまじったものを建て上げているというのです。私たちが調べるなら、がらくたとは何かを知るのにそんなに探しまわる必要はありません。パウロがこんなに様々な材料で何を言おうとしたかリストをあげる必要もありません。「金、銀、宝石、木、草、わら」1コリント3:12 皆さんは彼の手紙とその前後関係を見さえすれば良いのです。そうすればすぐに彼が何をそこで言っているかがわかるでしょう。「コリントの皆さんはまずキリスト教を自分たち自身の努力で築き上げようとしています」と言うかのようであります。「ところで生まれながらの人間は・・・・」と。それがパウロがコリントの人々へ呼びかけた言葉であります。だから)コリント人への第一の手紙を見ると、たくさんの人間の魂の状態が描かれています。それは言葉の知恵であったり、世の知恵、好き嫌い、好みやえこひいき、嫌悪感、それにねたみであったりします。それはこの土台にとって良くありません。あなた自身の心の生活はキリストとのむすびつきがないのですか。そうであるなら、物の数に入らないでしょうし、貫徹するものでなく、雲散霧消するでしょう。あなたはキリスト教を感覚でとらえようとしていますか。とするなら、あなたはかなりバラエティーに富んだキリスト教の混合体を経験しているのであり、全然一貫性がなく、完全に継ぎ足しの産物の中にいるのにすぎません。
パッチワークのいくつかはかなり巧みなものであり、パッチワークのクッションやキルトは素晴らしく器用なものですが、計画はなく、矛盾があり、白日下ですべての色をさらけだします。それが言うなら感情の支配する魂の生活そのものであります。今日はある感情、明日は別の感情、といった案配です。あなたはキリストの上にその感情を置くつもりですか。それは全然キリストとともに歩むことではありません。あなたの心が支配する魂の生活は、すべてにわたって対立的な議論を繰り返し、何とか物事について精神的に決着を得ようと試みます。でも決してそれは出来ないでしょう。
ひとつのことについてかなり論理的な結論に到達したと思っても、何かが起こり、全体をひっくりかえすことでしょう。詩人のロバート・ブラウニングは一人の不信心者について言いました。「その不信者は見事に神なんか全然存在しないという結論に到達した。ところが日が沈むとともにその結論をひっくり返してしまうのだ」と言いました。あなたは決してそのやりかたを全うしえないのです。精神的な訓練と葛藤の領域にある魂は決してキリストと一致しないでしょう。
私たち自身の強い意志に関しても、自分で強いと感じているかもしれませんが、そのようには決してとらえられないのであり、再度その道を降りていけないものなんですよ。私たちがそこにたどりつくまでにそんなに時間はかからないでしょう。ああ、どんなに私たちの魂は私たちを恥ずかしめる存在でしょうか。私たちの感情にしろ、意欲にしろ、ものの考え方にしろ、不安定で恥多きものであります。 恥多きかな、私たちの思いは四六時中私たちを愚かな者にするのです。「彼に信頼する者は、決して恥をこうむることはない」(1ペテロ2:6)パウロは言います。この魂のいのちが繰り返す働きはキリストの上には決して来ないのです。それは対立であります。大事なのは、あなたがどういう者かではなく、キリストがどういうお方かであるのです。
あなたが見たり理解したり精神的に納得できないとき、いかなることも感ぜられず、全然感情がなかったり、またかなり悪感情を抱いているとき、それが一つの領域であり、まさしく私たちの実体なのであります。ところがキリストはそうではないのです。そのような時、私たちは言うべきです。主よ、これが私の病気です。これが私がどのようなものであるかの姿です。でもあなたは違います。私はあなたに信頼します。自分からも物事からも目をそらします、と。キリストが土台です。土台の上に私たちが築くもののすべてはキリストご自身であらねばなりません。キリストはただ単に土台であるにとどまりません。キリストがあらゆる分野にまたがる建物全体なのであります。
(今日の箇所は Features of Zion - Chapter 4 の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003140.htmlです。細かい文章にこだわっていると文意が通じないので相当強引にかなりの意訳に努めました。問題は果たして文意に即しているかです。自信がありませんので、疑問に思われる方は是非原文を併読されることをお勧めします。それにしてもスパークス氏の論の進め方がいかにみことばに基づいて徹底的であるかその一端を知る思いにさせられます。「シオンの特徴の数々」とも訳すべき表題の第4章であり、これらの文章の文頭にはChristianity Not a Matter of our Soul-Life「キリスト教は決して生まれながらの私たちの所持できるものではない」というサブタイトルがつけられていることを追記しておきます。)
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