2011年4月11日月曜日

滅びざるものは何か私に悟らせて下さい

「桜の園」のひよどりさん。何を食べるのだろうか。桜餅か?
この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。(新約聖書 1コリント3:13)


私は皆さんが主を愛しておられることは疑ってはおりません。そのことについていささかの疑問もわきあがろうはずがありません。けれども、もう一度申し上げたいのです。私たちが取り囲まれているのは大きな(キリスト教という)体系・機構ではありますが、それは大変複雑に入り組んだものになっており、その上その多くの部分は主イエス様とは関係がないものであります。人が持ち込んだものであります。人間が主の事柄に手を差し入れ、人間が自分自身の考えで事をなし、それゆえに多くの事柄は人から出ているのであって、主からは出ていないのです。

その結果、私たちがキリスト教について言うのは、一般的な考えだけでなく、私たち自身の考えであります。このことは私たち自身についてあてはまることです。私たちはキリスト教と称されるものに入り込みその責任を引き受けています。けれども大変多くの除去しなければならないものがあり、本来の単純なものに戻さねばならないものがあります。すべてのうちで本来なくてはならないものは主の御臨在ということであります。私たちは知らねばなりません。すなわち、主は私たちとともにおられるということ、そして主は私たちがなすことのすべてのことのうちにあって私たちとともにおられ、このことは私たちの心の中に端を発していなかったということであります。私たちの意志や感情において始まったことでなかったということです。それは私たちの魂がよくなしたものではなく、詳細にわたり聖所である主から生じたことであります。まるで主イエス様が経験なさったように、あらゆる細かいところに至るまで、父なる神様が私たちのところに来て下さったのであります。


それは私たちをもとに戻させ、ひざまずかせるのに十分であるはずです。私たちの働きを一貫するものとなさしめるはずであります。私たちにとって必要なことは、時々立ち止まり、主に自分たちのなしていることを問うことであります。「このことは神様から出ているのですか、それとも自分自身から出ていることですか。このやり方は神様のみこころを行なおうとしているのですか、それとも自分のやりたいことをやろうとしているのですか。主がこのことのうちにおられますか、それとも私たちがすでにやり始めたことですか」と。


皆さんにもお分かり願えるように、それが大変決定的なことなのであります。誤解しないで下さい。人からしか出ないものはいずれ消え去るのです。早かれ遅かれふるい落とされることでしょう。すべての人の手のわざは火によって真価がためされるのです。みことばはそう語っています。

(今日の箇所は "That They May All Be One, Even As We Are One" - Meeting 15 の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003142.htmlです。この文章の後にスパークス氏がどうしていわゆるキリスト教と称するものから離れて、啓示によって主イエス・キリストを知るようになったかの証が述べられています。1964年の2月10日のマニラでのメッセージのようです。それまで牧師としてまた聖書を丹念に教えていた彼がどうしてそれが主イエス様を妨げるものとなったかを具体的にいささか口ごもりながら語っています。
I do not want to talk about myself, but I want to help you by illustrating. For many years, I was what was called a minister in the denominations. I was a minister of what are called churches. I was a minister of two denominations at the same time. So I had the big religious buildings. And I wore a clerical collar and attire, and I was in that whole system of organized Christianity. I had a big pulpit. And I preached sermons, and I was paid to do it. Well, I was very earnest. I really believed that I belonged to the Lord. My heart was reaching out to the Lord.But, the time came, when the Lord showed me Jesus Christ. He began to reveal His Son in me.・・・・・

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