2011年4月28日木曜日

あなたの力はどこから来ているか

人力は かくなるものか ブルドーザー 舗装表を 剥ぎ取り進む
自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行なう。(旧約聖書 ダニエル11:32)

私たちのうち数人の人々は自分たちが完全に(主の啓示を)体験するようにされた日のことを覚えているでしょう。その日に、私たちが非常に長い間話されていたことが、突然、御霊の大きな働きによって、自分のうちでいのちとなり、「これがあのことなのだ」「これが預言によって語られていたあれなのだ」と言うことが出来たのです。知らされる真理から生きている真理への移行でした。知らされていた教えから今体験していることへの移行でもありました。そして喜び鳴り響く宣言「これがあれなのです」と伝えるようになったのです。

私たちすべてはその移行を体験していなければなりません。今やそのことは急がれねばならないのです。私たちがその力のうちに自立して立つまで、私たちのうちでいのちとされねばならないのです。

どれだけあなたは自分の信仰生活を前進し続けさせるために委員会や教師に依存したらいいのですか。あなたは自分が得た最後の分け前が使い尽くされ、新鮮な供給を得なければならないと感じるという、まさしくその理由のために集まりに出席しなければならないのですか。それともあなたは自分は自分の神を知っているという理由のためにあらゆる人間の支えから解放され、栄光ある自立の位置に入ったのですか。

あなたがサハラ砂漠のど真ん中に突然おかれているかはもはや気にならず、あなたはあなたの神を知りあらゆる生来の助力から独立して立つことが出来るのです。このことが今やあなたの経験となったのです。それが力を意味する知識ということです。それはまた世に勝つ経験です。あらゆる他の世の機構を下ろさせ、それらの上にあなたが立ち、勝利するような種類のものです。

それが使徒の教会の秘訣でした。王様たちをしてやりたいようにさせよ、人々をして怒らせよ、そしてそのことが続きますが、このことの前に粉っぱみじんにされるのはローマ皇帝であって、ローマ皇帝の前で屈服するのはこのことでないのです。それが神様を個人的に主体的に知っているということであり、内面的に生まれることから来る、生きていることの結果であります。客観的な真理であるだけでなく主体的な力であり、知られた真理のもっとも小さなかけらまでもが、その働く力において生き生きした個人的な経験となる偉大な日であります。

それが私たちが求めているものです。じかに知っている知識であって二番煎じの真理ではありません。願わくは、神様が働いて、私たちの存在そのものに入ってくださり、このことが私たちのものとなりますように。もしあなたが好むのなら、それを(真理の)断片として受け取りなさい。そして、主に求め、それがあなたのうちに働き、あなたのうちに生きたものとなるように、願いなさい。

(今日の箇所は The People That Do Exploits の抜粋引用訳です。原文はhttp://www.austin-sparks.net/english/openwindows/003168.htmlです。 )

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